【おまけ】HiGH&LOWにおける村山と轟の『影』の現象学・補考:なぜ轟は失敗したのか&村山は本当に成功したのか

前記事、たくさんの方に読んでいただけてめちゃくちゃ嬉しいです。ご感想も有難うございます! ツイッターのリツイート先のコメントにいいね爆撃してすみません。気持ち悪いですよね、でも本当に嬉しかったんで……!!
何よりも、この記事をきっかけに皆さんがそれぞれの村山&轟像について語っていらっしゃるのが読めてホクホクです。番長ズについての長文語り、するのも好きですが読むのも大好き!!

さて。その後、皆さんの反応を拝見していて、言葉が足りなかったところとか、説明してなかったところがあったなーと思い、おまけ記事を作ることにしました。元記事の修正追記でもいいんですが、結構長くなっちゃいそうなんで別記事で。

●ケース1補考:なぜ轟洋介は影との戦いに失敗したのか

まず、轟洋介がなぜ影との戦いに失敗してしまったのか。勿論、村山さんが「勝手にクラスチェンジ」(一番ここがウケてたみたいですね、私もこれに思い至った時に色んなものがスッキリしたし、村山さんらしいや、と爆笑したのでお気持ち分かります/笑)したせいも勿論あるのですが、それだけではないと思います。轟側にも原因があるんです。

これ、実は中の人がもうドンピシャの正解を言われています。

度々、轟の中の人こと前田公輝さんが、轟から村山への強い執着心のことを恋愛感情に喩えられてますよね。「元カレ」とおっしゃったこともありましたし(笑)
恋にも喩えられるような熱烈な執着。あばたもエクボと言いますが、それはひいては、相手への冷静な評価、判断が出来なくなることを意味します。
影との戦いは、即ち己の暗部との対話です。影を投影している相手である村山に熱烈に執着してしまった轟が、冷静に対話出来るはずがありません。失敗は必然だったと言わざるを得ないでしょう。
逆に言うと、トリックスターによる価値観の変異が起きて頭を冷やされた轟は、ザワのラストで全日(同世代のコミュニティ)の輪の中に自然に混ざることが出来ており、執着していた村山及び定時メンバーのコミュニティから離れても充実感を得ることが出来るようになりました。
多分、普通はここからもう一度影に対峙して対話を始めれば、轟の影問題も解決された筈なんですよね。

ところが、ここで、このタイミングで、村山が卒業してしまいます。
対話のチャンスは失われてしまいました。(クラスチェンジの件といい、こと轟のこととなると絶妙に空気が読めない男、村山良樹……)


ただ、距離を置いて頭を冷やすのは悪い選択ではありませんので、1、2年後くらいに再会した時に冷静に話が出来れば、改めて影の問題に取り組むことも出来るでしょう。
影との問題を棚上げにしてトリックスター的価値観の変化で前に進むのは、私も詳しくはありませんが、ちょっと反則技っぽいところもあるので、多分、ちゃんとそれはそれとして消化した方がいいんじゃないかな、とは素人ながらに思います。
もしかしたら数年後、再会して影の問題を片付けたら、村山と轟はいい友人関係になるかもしれませんよ。性格も生活スタイルも正反対の二人なのになんでか友情が長続きしている人たち、というのはよく見ますからね。


●ケース2補考:村山良樹は本当に綺麗に問題を解決したのか

非常に典型的な影との衝突と対話を経て自己実現を果たした村山ですが、何も問題が無かったかといえばそうではありません。
一点だけ、村山はちょっとしくった点がありました。普通はそこまで問題にならないことなのですが、今回のケースだと大問題になっています。

それは何かというと、「影の引き戻しの失敗」です。

本論でも書いた通り、影は本人の問題を身近な同性の誰かに投影したものです。投影されている相手は、象徴的に「その人自身・その人の影・その人の鏡像」という言い方をしますが、当然本人ではあり得ません。他人です。
村山良樹と轟洋介は他人です。当たり前のことですが。
その、当たり前のことが曖昧になるのが「影の投影」です。現に村山さんは轟にハッキリと過去の自分を重ねているシーンがありましたよね。
で、一時的に投影先として借りている相手から影を回収し、改めてその人個人との関係性を結び直す、というのが影の問題の最終ステージです。ところが、村山はここで、その影の回収に失敗しています。
つまり、村山は影の問題をクリアーした後も、轟と自分の同一視をやめていないのです。
過去の自分である轟を導きたい、という気持ちは素晴らしいのですが、轟と自分が違う人間であるということが真の意味では分かっていないので、自分が理想とするリーダー像を轟に押し付けています。

ここら辺は個人の感想ですが、轟は所謂現代的な『リーダー』には向いていないタイプなんじゃないでしょうか。口下手ですし、背中で語るタイプなので、大人数を取り持ち、まとめ、仲間のメンタルケアに勤しみ、一つの目標に向かって組織運営をする、というのは性格的に向いてない気がします。
その代わり、こういうタイプは一定の権限を持たせて遊撃隊として少人数の部下と共に「自由に動いていいぞ」、と解き放ったら物凄い活躍をするタイプなんじゃないでしょうか。本論で書いた「最強の助っ人」もこっちですね。所謂、スーパーナンバー2です。
もしくは、達磨一家の日向のように、そういうマネジメント能力の高い部下をズラっと揃えて、最強の背中で象徴的に組織を引っ張って行く、という方法もあります。カリスマリーダータイプですね。轟を頭にしたいなら、轟の素質を変えようとするのではなく(努力で何とかなるものではないので)、組織の在り方を変えるべきでした。

村山は視野の広い冷静な男ですから、自分と轟の同一視をしていなければ、轟の特性を見抜いてどちらかの方法を取っていたと思います。司に対する助言は適切だったように思うので。
でも、あまりに轟と自分の境界が緩くなってしまっていたが為に、轟がいずれ「自分のような」リーダーになることを信じて疑っておらず、轟以外を頭にする、という可能性を微塵も考えていません。(楓士雄に対しても、「彼の良いところを轟に吸収してほしい」という見方をしており、轟の代わりに楓士雄を頭に、という方向には舵を取りません)
そんな轟が自分の思う通りに成長していないことを知ると、やや癇癪に近いような叱責をしています。(「そういうとこだよ、お前の悪いとこ」の台詞です。それを悪いとこ、と表現するのは、あくまで村山の価値観でのみ、の話です。実力主義の鬼邪高内で、格下に興味がないと言い放つのは何も轟一人ではなかったはず)

で、そんな調子で「お前(俺)なら出来るはず、やらなければならない」という助言をぽんぽん繰り出すものですから、轟は大混乱です。コンテナ街戦で新しい生き方(スーパーナンバー2)の手応えを感じていた轟は、それを村山になぜか「賢者の助言」風に否定されてしまいます。
その根っこには、この、村山の「影の回収の失敗」があったのではないでしょうか。

村山は、最終的に轟の表情が柔らかくなって同世代の中でうまく息が出来るようになったのを自分の助言によるもの、と満足していたかもしれませんが、村山が轟からの影の回収に成功していればもう少し轟の自己実現は楽に進んだかもしれません。罪な男ですね(笑)

で、この通り、いまだに轟と自分の境目が曖昧な村山なので、卒業時に轟に挨拶とかしてなくてもおかしくないです。なぜなら、轟は自分自身、下手をすると自分の身体の延長線上にある、と思っている可能性があるからです。
周囲からは薄情に見えるかもしれませんが、本人にはそういう自覚はないんです。朝、家を出る時に、鏡に映った自分自身に「さようなら」も「また会おう」も言わないですよね。会おうと思ったら鏡を見ればいいわけで、いつでも会えるし。
しかし、轟は別に村山を自分と同一視してませんから、挨拶のない卒業にはショックだったかもしれません。(良くも悪くも、あれだけ濃厚に感情をぶつけ合って戦った相手ですから)

数年後、昨日も会ったよな、くらいのノリでふらっと轟に会いに行った村山が、ガチギレライダーキックで迎撃される姿が目に見えるような気がします。
村山さん、余計なお世話かもしれませんが、今の内にちゃんとそこら辺は自覚して、影の回収、しといた方がいいですよ。ね。


以上、補考でした。
長々とお付き合い下さり、本当に有り難うございました!!

最後に一言、LDH様、早くザワの円盤情報下さーーーい!!! 飢えて死にます!!!!


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