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青瓦の家は夢をみている

 乾いた土色の栗の葉が一枚また一枚と枝を離れ、あるかなきかの風にくるくる回りながら降りていき、かすかな音を立てて枯草の地面に到達する。
 しばし足を止めて、杏子はその時間に身を置いた。晩秋。いや、もう初冬だろうか。一枚また一枚、枯葉が地面にたどり着いて立てる音の意外な速さに、季節の進みを知らされる。栗の木の向こうには、崩れかけた家がある。もとは茅葺だったものをトタンで覆っていた屋根の、真ん中が陥没し、太い梁やそれを支えていた柱、土の壁が、思い思いに朽ちていきつつある。かなり長いこと、ここには腰の曲がった小さいお婆さんがいて、その孫が一緒に暮らしていた。お婆さんは息子夫婦が町に建てた家に同居したがらなかったので、不器用だが優しい孫が、おばあちゃんの生きている間は、と、この古い家に住んでいた。もう、三年ほど前の話だ。お婆さんが亡くなって孫が町に戻ると、待っていたように家は崩れた。この辺りはそんな家が多い。
 瓦をいただいた土塀と立派な冠木門で囲まれた庭がセイタカアワダチソウに覆われていてその奥にやはり真ん中から陥没した茅葺屋根の家があったり、隣近所というほどではないが毎週祖母を連れて野菜を買いに行く日曜朝市の近くには、高く美しい石垣の上にやはり瓦を載せた土塀をめぐらした屋敷が、住む人もなく荒れていたりする。小ぶりの城のような堂々とした瓦屋根の二階建てが見下ろす広い庭には枝ぶりの良い松や百日紅が配されているのだが、そこにもまた蔦や芒やセイタカアワダチソウやセンダングサが生い茂って見る影もない。
「やっぱり、外で仕事するのは気持ちがええなぁ」
 雑草を刈り集めた山をご機嫌で眺めていた祖母の背中を押して家に戻り、祖母が手を洗っている間に、杏子はおやつを用意した。
 何の変哲もない白い小皿に、半透明の生八つ橋、ニッキと抹茶の二色を少し角度を付けながらずらして並べると華やかで上品な和の器になった。祖母は「美味しそう」と目を輝かせた。
「生八つ橋って、きれいなお菓子だよね」
「本当にねぇ。誰が京都行ったん?」
「さやこさんが、昨日行ったんだって」
 さやこさんって誰だろうと思いながら答える。テーブルの上に、「清子さん京都土産」と貼り紙してあった箱を開けたのは自分だ。せいこさんでなくさやこさんなのは知っている。
 おやつを食べながら、近所の家々について話す。石垣のお屋敷は、先代が亡くなった直後に「言い値で買うから」譲ってほしいという人が現れたのだが、当時はまだ戻ってくるつもりのあった息子が手放さなかったのだという。あの時に売っておけばよかったのに、もったいないことだと祖母はため息をつく。
 人が住まなくなれば、どんな立派な家も屋敷もみるみる傷んで荒れてしまう。
「その点、うちは長持ちしてるよね」
 よそ様のようなご立派なお屋敷じゃないけど、青い瓦屋根は明るくていいし、梁だけは山の松を使ったから。得意げに言う祖母に頷きながら、当たり前じゃないかと思った。祖母と自分が住んでいるんだから。
 ふと、頭の隅を何かがかすめた。祖母と自分が、住んでいる?
 時々、よくわからなくなることがあった。自分は本当にいるのだろうか。杏子という孫がいる。と、祖母が想像しているだけなのではないか。けれどそんな思いも、晴れた午後に祖母と畑の草を焼き、来週はここに何の種を蒔こうと話すうちに忘れた。
 夕食の片づけを終え、寝る支度を始めながら、祖母が
「杏ちゃん、ありがとね。もういいよ、帰ってくれて。遅くなっちゃったねぇ」と言う。
 なるほど自分は「来て」いるのだなと思う。
「杏ちゃんの車、色が暗くて、夜は見えにくいよねぇ。もっと明るい色にすればよかったのに」
「うん。赤いのがほしかったんだけどね。急いだから、あれしかなかったんよ」
 答えながら、毎週同じ会話をしているなと思う。思いつつ、駐車場に停まっているネイビーの車を思い出す。あの車で、自分は毎週ここに通っているんだな。
 寝具を延べて眠る準備を整えた祖母が、いつものように言う。
「じゃあ、戸締りお願いね。電気、小さいの点けといてね」
 頷いて大きい電気を消し、部屋を出ようとすると後ろから
「いい日曜日だったね」
 と声がかかる。朝市で銀杏を買ったから、夕食に銀杏ご飯ができたし、十二月だというのによく晴れて暖かかったから、畑仕事もいっぱいできた。
「また来週ね」
「うん。また来週」
 戸締りをして家を出る。駐車場に、ネイビーの車はなかった。敷かれていたはずの砂利は見えず、生い茂っていたメヒシバの枯れた淡い朽ち葉色とヨモギやシロツメクサのくたびれた緑が混ざっている。そうだよなと思う。でも、いい日だった。杏子は微笑んで目を閉じる。夜風が足元から杏子を溶かした。
 同じころ、布団の中で、祖母もまた溶けて行っていた。

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