日々を来るがままに受け入れよ。と、どこかに書いてあったような気がする。

 父が消えたのは、私のせいじゃない。ばあちゃんは「あんたが帰ってきて、その違和感で思い出しちゃったんだよ、きっと」っていうけど。
 そんなこと言われても、と思う。どこでしくじったんだろう。ただいま父さん久しぶり元気だった? そしてハグしただけだ。勿論、四年前の私は父をハグなんかしなかっただろう。だけど十八だった娘が二十二になって戻ってきたんだから、しかもアメリカに行っていたんだから、ハグぐらいするし、そりゃ、印象も変わるでしょうよ。違和感て。
 祖母によれば「私」は、卒業するまで帰ってこないからねと捨て台詞を吐いて出て行ったのだそうだ。ということは最初っからそのつもりだったのだ。巻き添えで動いた、入れ替わりにやってきた私がこっちになじんで、色々調べる暇があるように。だったらいよいよ、私のせいじゃない。帰ってきた私の違和感は、単なるきっかけであって原因じゃない。 
「で? どうだったの、アメリカの入学式はどんなだった?」
「入学式? 卒業式じゃなくて?」
「入学式にきまってるでしょ。あれだけ楽しみにしてたのに」
「何言ってんのばあちゃん、アメリカには入学式なんかないよ?」
 すっとぼけた私を、祖母はじっと見た。
「そう言ったんだけどね、あんたの父さんも私も。でもあんたは聞かなくて。『いいよ、父さんはそう信じてれば。私は入学式のあるアメリカに行くから』って、アルバイトして買った自分的一張羅を荷物に詰め込んで出てったのよ。知らない?」
 普通なら「覚えてない?」と訊くところだと思う。ここで知らないかと訊くのは、何が起こったか、彼女にはわかっているからだ。更に
「あんたの元いたところでは、アメリカに入学式があったの?」
 と訊かれたところで、私は観念して肩をすくめた。
「あったよ」
「どんな風? あんたが買ってったようなきれいな服を、みんな着てくるの?」
「あー……。いや、えっと?」
 キレイな服。って、アレか? 宝塚の男役みたいな、立ち襟にフリルとレースのいっぱいついたシャツブラウスと青紫のぴったりしたスーツ。一度も着なかった。いや、一度、芝居やってる子に貸したっけ。どのみち、入学式に着るような代物じゃない。
 祖母の言う「あんたの元いたところ」では、私はそもそもアメリカで生まれ育っていて、入学式も幼稚園から高校まで経験した。直前にこっちに来たから大学のには出てないけど、規模が大きいだけでそれまでと大差ないと思う。入学式というのは、冒頭に校長のあいさつは一応あるもののほんの数分で、式典じゃなくて親睦会、それも思いっきり羽目を外して、できる限りはっちゃけて過ごす時間だ。もっとも、私は楽しめなかった。だから今、私はここにいるのだろう。「入学式のあるアメリカ」に行きたいと思った私と、世の中に入学式なんてものがなければいいのにと思っていた私とが、きれいに入れ替わったのだろう。いや、「きれいに」なわけはないか。日本生まれ日本育ちの私とアメリカ生まれアメリカ育ちの私はかなり遠いから、間でまだ何人か、ひょっとしたら何十人、何百人の私が動いていないとも限らない。
「元いたところ」の入学式は、最寄りのビーチや湖の岸、プールのある学校ならプールサイドで行われる。当然、「その場に相応しい服装」で集まるのが常識だ。
 高校の入学式で、私は溺れた。正確には、溺れているとみなされて、近くにいたニューファンドランドに救助された。私は泳ぎが得意ではない。まるっきり泳げないわけでもないけれど、泳いでいるようにはとても見えないというのが周囲の評だ。だから下手すればこの時点で、これからの学校生活における悲惨な立ち位置が決定するところだった。そうならなかったのは、ニューファンの飼い主が話しかけてくれて、その場にいたほかの人たちも話に加わって、それなりに面白がってくれたおかけだ。
 日本では四月に学校が始まるって本当? うん。ほんと。え、マジ! 四月? って、まだ寒いじゃん。泳げないじゃん! うん。だから日本には、入学式ってないんだ。え、じゃあ、どーやって学校始めんの。代わりにね、初日はみんなでオハナミっていうのをするみたい。
 自分が経験したわけじゃないけれど両親や祖父母から聞いて知っている日本について、私は語った。オハナミというのは、チェリーブロッサムが満開になったら花の下で行うピクニックだ。
 え、植物任せ? それだと全国一斉にはできなくない? そうだよ。日本の学校は、ほぼほぼ南から順に始まるの。ええぇぇぇ? 開校日も年ごとに違うしね。マジ!
 大学に入る年には、そのピクニックを夜に行うから、満開の夜が満月だった年の学生はその後の人生を幸せに送れるって言い伝えがある。そんな話がウケて、私はなんとなく、周囲に溶け込めたのだった。それが高校の入学式。でも大学でまでそんな幸運は望めないから、できれば入学式には出たくないなと思っていた。思いながら入った寮で荷物をロッカーに詰めていたら、青紫のスーツが出てきたのだ。
 自分が、動いちゃったことはわかった。けど、どうしていいかわからなかたし、どうにかしたいとも思わなかった。下手な動きをすれば余計に酷くならないとも限らない。
 母が亡くなった時、父は悲しみのあまり、もう少しでどこかに行ってしまうところだった。おそらくは、母が亡くなっていない今を探そうとしたんだろう。だけどそれは、私たちのような存在の、大きなタブーだ。幼児期に、無意識のうちに起こる隣への移動、一卵性の多胎児がやる遊びのようなちょっとした冒険とはわけが違う。大きすぎる移動は、大きすぎる混乱を引き起こす。誰かが亡くなっていないならきっと、近い別な誰かが亡くなっている。消えかける父を刹那に間に合って止めた祖母が、必死の想いで父の記憶を封じた。それなのに。
 私が帰ってきたことで、その違和感で、彼は思い出してしまった。自分の能力を、はっきりとではないにしろ思い出して、そして……。 
 私のせいじゃない。少なくとも私が企てたことじゃない。入学式なんてなければいいのにと、思ったのは確かだ。だけどそんなに真剣に願ったわけじゃない。ここまでのことは考えていなかった。バイト料溜めてあのスーツを買った四年前の「私」は、ちゃんと自分の出席したいような入学式のあるアメリカに行けたのかな。そもそもなぜそんなに、アメリカの入学式に出たかったんだろう。そう考えたところで思いついた。
 祖母は、間に合っていなかったんじゃないか。あの時父は動き、その余波で、色んな混乱が起こったんじゃないか。入学式のあるアメリカに行きたがった「私」は、それまでの「私」とは違うんじゃないか。ひょっとしたら、ただ単に帰りたかったんじゃないか。
 本当のところはわからない。「私」は今幸せにしているのか。父は今どこにいるのか。それとももうどこにもいないのか。
 私には、どうすることもできない。
 
                                了

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?