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天才を殺す日本と、秀才を殺す米国

2回目の投稿です。今回のテーマは、北野唯我さんの著書「天才を殺す凡人」にインスパイアされて、日本と米国を比較してみた個人的な考察です。

「天才が殺される日本」と「秀才が殺される米国」

北野さんの著書の中に描かれている図が左側で、右側の図は、私がオリジナルで作ったものです。

日本では、北野さんが書かれているように、秀才と凡人の両者が天才を排斥する構造なので、結果的に「天才を殺す秀才が増える社会」となっています。

対して、米国では、日本とは違い、秀才より天才を応援する機運が強いため、結果としては「秀才より天才の排出を応援する社会」となっているように感じます。

これまでの時代のように「秀才の量」で勝てた時代は、日本および日本企業は強かった理由は、ここにあり、最近苦戦している理由も、ここにあると思いませんか?

天才、秀才、凡人の比率から考える

誰も、天才、秀才、凡人の比率などわかりませんので、これは、あくまで主観的なイメージです。

日本は、現在の教育制度、社会制度から考えると、高学歴、勤勉で真面目な秀才の層が非常に厚いと思います。

多勢に無勢ということもあり、日本は、天才には辛い社会かもしれません。

それに比べると米国は、日本とは全く違う分布のように感じます。

そして、多数層は、天才をヒーローを応援する如く応援するので、天才には、とてもよい環境です。

日本でもイノベーションを起こすには

最初の2つの図は、北野さんの著書に描かれているものです。

かつて日本でも、世界レベルの起業家がイノベーションで世界を獲った時代もありました。

しかし、その後、「運用中心のスケール」の時代が続き、「秀才」が上を固めてしまったことで、今の苦境となってしまっています。

ならば、「天才を殺させない組織を別につくる」ことができれば、そこではイノベーションが生まれます

逆に言えば、「(天才を殺す)秀才がトップを固める」組織からは、イノベーションは生まれません

イノベーションは「変革」です。そしてある意味「異端」でもあります。

それを生み出すためには、組織としても、社会としても「異端を殺さない受容力」が重要です。

みなさんの周囲でも「天才を殺す」ようなことはありませんか?

雑感:軍事組織にたとえてみると

軍事作戦で考えてみると、ここで登場する天才、秀才、凡人、その他は、以下のように対応できるとも考えられます。

 天才:海兵隊(精鋭中の精鋭、自律的な作戦行動、個人個人で判断)
 秀才:レンジャー(精鋭、組織としての作戦行動、組織として判断)
 凡人:陸軍(新人も含むさまざまなレベル、司令どおり行動する)
 その他:民兵(大衆、訓練も受けていない場合が多い)

2つの場面で考えてみます

1.完全に占領するためには陸軍を配備することが必須
最初に海兵隊が潜入し、次にレンジャーが侵攻したとしても、最終的には量である陸軍を駐留させなければ占領したことになりません。つまり、最初に市場に参入する場合と、そこでスケールするためには、違う人材(質)とリソース(量)が必要ということと同じです。

2.海兵隊でも大量、もしくは重火器をもった民兵には歯が立たない
ランチェスターの法則でも有名なように、いくら精鋭中の精鋭でも、圧倒的な数、もしくは重火器をもった民兵には対処できません。これは多数決で天才が殺させることに似ています。

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