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いつの間にやら馬が好きだった(上)

子供の頃から動物は好きでした。
幼い頃から家に金魚や亀、セキセイインコがいましたから、生き物を飼うということになんの抵抗もありませんし、動物が生活のなかにいるということにそれほど違和感がありません。
とはいえ、犬猫の飼育経験はないのですが。

比較的最近までうちにいたセキセイインコ。この時点で10歳を超えてたはず。

大型動物に接する機会はあまりなかったのですが、あるとすれば田舎に帰った際に近所で飼われていた牛くらいだったでしょうか。

さて、私はいつの間にやら馬が好きでした。
先日母親から「なんで最近競馬をよく見るようになったのか」と聞かれましたが、いやいや別に今に始まったことではないのよと。

きっかけは「オグリフィーバー」か?

私が幼い頃、ある競走馬が連日話題になっていました。

オグリキャップ

笠松競馬から中央(JRA)に移り、大活躍をした競走馬。その活躍は競馬に興味がない人すら巻き込んでオグリフィーバーを巻き起こしました。
(子供心にオグリのぬいぐるみ欲しかった……)
頻繁にテレビで流れるオグリキャップが走る姿。当時はまだ芦毛とか知りませんから、白っぽい馬が走ってることに興味を惹かれたのかもしれません。
ちなみに幼い記憶では、もう一頭白い馬が並んで走っていました。
後にこの馬がタマモクロスであると知ります。そのレースは天皇賞(秋)だったのかもしれません。
それは奇しくも「芦毛は走らない」と言われていた時代の終焉、強い芦毛が現れた瞬間でした。

その後もテレビから聞こえる馬の名前。
トウカイテイオー、メジロマックイーン、ミホノブルボン、ライスシャワー、ビワハヤヒデ、ナリタタイシン、ウイニングチケット、ナリタブライアン、マヤノトップガン……
オグリフィーバーのおかげで競馬がギャンブルという少しダーティーな匂いがするものから、スポーツにちょっとだけ傾き始めた時代のことです。
ニュースで流れるレースを見てまた興味を惹かれていました。

親は競馬中継を見るのをあまり快く思っていなかったので、隠れて見たり、出先で流れているのを見たりしていました。

初めてファンになった馬の死

少し前後しますが、初めてファンになった競走馬は、と振り返るとおそらくはこの名馬だったと思います。

ライスシャワー

黒い小柄な馬体でしたが長距離を駆け抜ける姿が美しかったのを覚えています。
ミホノブルボンの三冠阻止、メジロマックイーンの春天三連覇阻止でヒールのようなイメージで言われることが多かったと記憶していますが、たぶん一頭に注目しながらレースを追うようになったのはライスシャワーからです。
1995年の天皇賞(春)、ライスシャワーが勝ち喝采を浴びたのを嬉しく見ていました。

しかしライスシャワーは次走の宝塚記念で故障発生。そのまま予後不良となりこの世を去りました。
予後不良という言葉を知ったのはこのときが最初ですが、応援していた競走馬が突然亡くなったのは大きなショックでした。

そして出会った「異次元の逃亡者」

高校に上がると、課外活動で乗馬をやっているところがあることを知りました。
しかし自分が馬に乗るというのはどうもピンとくるものがなく、どうやら走っているのを見るのが好きなんだと気がついたのはだいたいこの頃です。

ライスシャワーが逝ったショックから見る頻度が減っていた競馬も、また見るようになっていきました。
1997年、サニーブライアンが2冠、最後の菊花賞をマチカネフクキタルが勝利した牡馬クラシック。メジロドーベルが活躍した牝馬クラシック、スプリント路線にさっそうと現れたタイキシャトル。
その同世代にあの伝説の名馬がいました。

サイレンススズカ

98年金鯱賞で見せたあの圧倒的な大逃げを見て、こんなにすごい差がつくのかと驚いたものです。
騎乗していた武豊騎手は宝塚記念では先約のためエアグルーヴに騎乗しましたが、サイレンススズカはまたもや鮮烈な勝ちを収めます。
栗毛の馬体に緑のメンコ、こんなに速くて美しい競走馬がいるのかと思ったものでした。

そして1998年は牡馬クラシックも大変面白いものでした。
後に最強世代、黄金世代と呼ばれるようになるこの世代ですが、セイウンスカイ、スペシャルウィーク、キングヘイローの三強、そして外国産馬であるエルコンドルパサーとグラスワンダー。
ほかにも各路線で強力な競走馬が集まった世代です。
皐月賞はセイウンスカイの勝利。続く日本ダービーはスペシャルウィークが勝利し、武豊騎手は初めてダービージョッキーになります。
最後の一冠、菊花賞はまたもやセイウンスカイが勝利。芝3000mの当時のレコードタイムまで叩き出します。
クラシック戴冠を逃したキングヘイローは、後に高松宮記念で勝利しGIホースになりました。

天皇賞(秋)の前に行われたGII毎日王冠は、サイレンススズカに4歳(旧馬齢)のエルコンドルパサーとグラスワンダーが挑むことになりました。
エルコンドルパサーはNHKマイルカップを含む5勝無敗、グラスワンダーは朝日杯3歳ステークス(現・朝日杯フューチュリティステークス)に勝利後、骨折してしまいましたが4勝無敗。
外国産馬であるが故にクラシックと天皇賞には出走できません(当時の規程)が、クラシック世代最強の一角が最強の逃げ馬サイレンススズカに挑みます。
レースはこれまで同様の大逃げを繰り出しサイレンススズカの圧勝。エルコンドルパサーが迫りますが追いつくことはありませんでした。

エルコンドルパサーはこの後ジャパンカップに勝利。渡仏して99年サンクルー大賞とフォワ賞で勝利しますが、凱旋門賞で惜しくもモンジューに敗北し、そのまま引退。
グラスワンダーは98年有馬記念に勝利、翌年宝塚記念、有馬記念でも勝利しグランプリ三連覇を成し遂げます。
グランプリレースではスペシャルウィークとの激闘もありますが……これは後ほど振り返ります。

両馬とも引退後は種牡馬となりますが、斉藤慎二氏(ジャングルポケット)が馬主となったオマタセシマシタはコンビ名の由来になったダービー馬ジャングルポケットの産駒であると同時に、母父がエルコンドルパサーであり、かの名馬の血も引いているのです。
またグラスワンダーはスクリーンヒーロー、モーリスといった後継種牡馬を生み出しますが、モーリス産駒のピクシーナイトがGI馬となったことで牡系4代連続でGIホースとなる偉業を打ち立てました。

そしてあの日がやってきた。

長くなったので続きは別で。

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