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何が起きても笑えるように

最悪の事態ばかり考えていたようだ。多分今から話すことは、割と悲しい話になるだろう。


前の向きかたを誤ってきた。

大人からの暴力を恐れ、全てを笑い飛ばしてきた子どもだった私へ、軽蔑を込めて。



3才だったか。父親に根性焼きされかけた時、ひどく怯えた私は笑われていた気がする。皿が飛ぶ夫婦喧嘩の夜、止めようとしたけど無駄で、布団の中で震えていたらあさが来た気がする。保育園の教育は厳しくて、ご飯を残した時に廊下を引きずり回された気がする。気がするんだけど、これが本当の記憶なのか、妄想なのか、覚えてない。多分本当だった。肩車されたとき、そこから落とされるかもしれないって思ってたのは完全に妄想だろうけど。その頃から、起こりうる最悪なことばかり考えていた。何が起きても笑えるように、対応できるように。思えば3才の時から最悪のことばかり考えていた。全ての怒鳴り声や私への罵倒が、本当のことだったのか、もう記憶の中では曖昧だ。

実家でいた時間は私にとって何より辛いもので、もうあまり覚えていないのだが、私はずっと家族に殺される気がしてた。息をするのも申し訳なくなったとき、包丁で刺し殺されたりする日が来ると思って、自殺を試みたりしたのが10歳の時だったと思う。そのことを誰も知らない。綺麗な失敗に終わったから。死ぬにも未熟すぎた。本気じゃなかったのかもしれない。当時は確かに死にたかったけど。

小学生の頃、担任からプールにこっそり沈められたり、放課後の倉庫に呼び出されたりして怒られてた時期がある。先生からいじめられてた。その時期はいつも悪夢を見たり、最悪の事態を考えていたことを覚えてる。呼び出された教室で、もし鍵を閉められたら、何が起きるか分からないから窓から飛び降りようって思ったりしてた。ガラスをぶち破ってでも飛び降りて外に出ようと思ってた。怪我だらけになる自分を想像してた。せめて自分を守れるように、カッターナイフを持ち歩いていた。大人の男からは殺されるかもしれないって考えてた。だから別に、ある日突然上履きが無くなっても驚かなかったし、プールに沈められても死ななかったなぁって思ってた。

子どもの私は、全部笑い飛ばして、生きていきたかった。それができると思ってた。何にも動揺したくなくて、起こりうる最悪の事態ばかり想定していた。

今思えばそれは間違ってた。傷ついたなら傷ついたなりに対応するべきだった。嫌だって言うべきだった。助けてくださいと声を荒げるべきだった。警察も校長先生も親も助けてくれない中でどうしていいのかもわからなかったけど、お金も持たず電車で遠くまで行ったりしても良かったと思う。自分を助けられるのは自分しかいないし、どうにもならないなりに行動はするべきだったと思う。

辛かったあの時期、白い箱に閉じ込められる夢をよく見ていた。外から私への罵倒や悪口を言われ続けて、私は箱の中からやめてって喉から血が出るまで叫ぶけど、誰にもその声は届かずに、箱の中が血で染まるのを見るだけの夢だった。何度も何度もその夢をみた。言葉を覚えたくらいから11歳くらいまで続いた。実際叫べば良かったと思う、ほんとはそんなに辛かったんだったら。別に笑って生きることなんてなかった。


変な癖は今日まで続いてて、ずっと最悪の事態ばかり考えてる。ずっと考えてるもんだから考えてることさえ気づいてなかった。

考えてることは、家族が死んだり、家がなくなること。仕事がなくなること、友達がいなくなること、写真が撮れなくなること、健康を害されること、目が見えなくなり耳が聞こえなくなること、急に殺されること、手足が急になくなること。そんなことは前提だと思って生きてきたんだけど、そんなことずっと考えてるって多分おかしいんじゃないか。

こういう想像を繰り返してると、過剰に執着してしまう場面とかが出てくる。少し喧嘩したりしたくらいで縁を切るような、極端な行動に出てしまったりするのも、こういうことを考えすぎてるせいだろう。全ての人にはもう会えないかもしれないから、好きな人とは精一杯の時間を過ごそうとし過ぎるところがある。明日は無いと、思ってる。

この感覚はとても疲れる。生きてるだけで息切れがする。頭が痛くなる。ずっと妙な不安に襲われる。

ここ二日間、心がとっても安定していたから変な想像ばかりしていたことに気づいた。生まれて初めて心が安定したので、生きやすさに驚いてしまった。

今日社長に次の出勤時間をいつにするか相談した時、どんな仕事があるのか一日中仕事があるのかどうか確認したら「探せばあるに決まってる」ってニュアンスの返事を受けて、怒らせたかなと思ってしまって私は、ずっと仕事をクビにされたり急に怒鳴られたり殴られたりすることばかり考えてしまった。社長はとても優しくて、私の幸せを想ってることを確信出来る、そういう人なのに、そういう人相手でも、そんなことを瞬時に、そしてずっとずっと考えてしまった。

こんなんじゃ疲れるに決まってる。もうやめたい。もっと人を適切に信用したい。

全ての暴力に屈さないほど強くなりたい。死なないために。私は私の性質が悲しい。何年かかってでも取り除いてみせたい。ただ周りの人を真っ直ぐに見つめて、ちゃんと愛していけたらいいな。過剰な畏怖は、本当に罪だと思う。




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