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エモいってなんだ

ちちという名前で活動している友人を四年間撮り続けて、それらをまとめて個展を開催することになった。
撮り続けたとは言うものの、撮っていた意識なんて時になく友人と遊んでいた時の記録が残っているという感じだ。
そしてたまたまちちはモデルで、私は写真家だった。

私は写真をもう14年ほど撮っており、写真を撮る行為は心の呼吸だと言えるくらいには自然にやっていることなので、日々の写真が残ることはごく自然なことだった。


例えば恋人の写真を撮り続けるような、近い距離の人間を描いた写真表現はたくさんあるものだけれど、私たちの手元に残ったこれらはなんだか特別な気がした。自分の人生そのものなのだから、個人的に特別なのは当然なのだけど、それにしてもフラットな人間関係が写っていると思う。

人の写真を撮るとき、カメラマンの方が主導権を握ってしまうことが多い。
だけど我々は別にどちらが主導権を握るでもなかった。写真を撮ろうとするようなことも、撮ってるような感覚もなかった。きっと相手も意識して写ってる感覚はなかったんじゃないかと思う。

写真をやっているというより、人生を前に進めるために写真に鏡になってもらっていたような感じだった。写真というハードウェアを使っただけで、写真のために写真をやっている時間を、私たちは持ったことがない。


四年分の写真を見返していると、色々な時期を過ごしてきたなと実感する。
もともと私たちは、共通の友人が亡くなって連絡を取り合ったことをきっかけに知り合った。
まるでいなくなった人間関係を埋めるかのような、必然のような知り合い方だった。
その友人の命日は、私たちが知り合った記念日だ。

二十代半ばの私たちの日々はそこそこにしっちゃかめっちゃかだった。
いや、みんなそうなのかもしれないけど、自分の人生の渦中にいるってそこそこ大変だ。
当たり前に失恋したり、悩んだりして、ご飯が食べられなくなったり眠れなくなるような時期もあった。
身も心もバラバラにちぎれそうになるたびに集まってはいろんな話をする。そして写真も自然と撮っている。そういう仲だった。
これ以上友人を失いたくない強い祈りが、お互いをこの世に引き留めているようだった。


今回写真を個展にまとめられたのは、二十代半ば特有のヒリヒリした時期を乗り越えたような気がしたからだ。
これまでの写真はすっかり過去になったような感覚があるし、ここで区切りをつけることでバラバラだった若さを一つ終わらせられるような気がする。


よく写真をエモいって評価してもらうけど、今までその感覚があんまりわからなかった。流石に今回4年間をまとめた写真は自分にとっても感情を揺さぶるものだった。
ちゃんとヒリヒリして、苦い時間だったけど、今はそれも人生のおいしさだと感じる。これがエモいってことなのかな。少しわかった気がする。



個展「とけて、きえる」

・入場料500円(L版プリント付き)
※2人とも終日在廊予定です

・7/21〜23 / 12〜19時(最終日は18時まで)
・Galerie Juillet
〒166-0002
東京都杉並区高円寺北3丁目41−10 メゾンジェイエ

https://maps.app.goo.gl/vwMnwjKb5yTJCgmE9?g_st=ic

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