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孤独の共鳴

「上京してまで、一般人撮っても何にもならない。表現者を撮れ。周りからも遊んでるのって思われるよ」と言われたけど、私は到底そうは思えない。
私の原点だし、一般人が表現する時のパワーを信じてる。
その力を感じてきた。
今までとこれからは違うのかもしれないけど、譲れないところだな。

「有名人や飛躍した人を撮る時、普段そんなぬるま湯に浸かってたら、そっちにいくのが嫌になると思う。」と話を受けた。
飛躍してようが、表に立つ活動をしてなかろうが、人の持つエネルギーに差異はないように思ってる。
「一般人」と呼ばれる人を撮ることが、ぬるま湯だとは思わない。むしろ戦いで、撮影はいつも魂の殴り合いような心地がする。

プロ同士として人と対峙する仕事にはその仕事の本気が、個人として撮るときにはその時の本気がある。
目的も緊張感も違う。
そのどちらも好きな時間だ、全く別物で、比べるものでもない。

飛躍してる人を、仕事として撮るのには確かに責任の大きさが違う。
緊張感も変わってくる。
だからって、仕事の写真ばかり撮っていたら枯れてしまう気がする。
変わらず、人のそばにいたい本当に。
有名になっても、表に立たない人たちも撮っていたい。
飛躍するためでもなく自分たちだけのために、私たち2人の秘密を。

こういうあり方で撮り続けることが難しくなっていくのはわかる。もうすでに難しくなってきている。自分が飛躍するごとに。人と人になるのは、難しい。

飛躍するのを望んでいるのかと聞かれるとそうでもない。かと言って活動の衰退を望んでいるかと聞かれれば、それもちがう。
ただ流れに身を任せて、やりたいことをしっかり見失わないように過ごしていたい。
お金、地位、名声などの力。それらは結構二の次だ。
大事にしたい人を大事にする、大事にしたい時間を生きる。
美しい人に出会い、過ごしたい。魂の美しい人に。
知りもしない他人の孤独に触れ、見聞きしたい宇宙がある。

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