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この身体を許せる日が来るまでは


私情を話すけど、どうやら私にはトラウマを持っているらしい。最近、友人に今までのことや最近のことを話してると「それはずいぶんひどいトラウマですね」と返事をされ、あートラウマなんか、とようやく自覚した。一つの言葉にするのに時間がかかった、こんなにありふれて使われる言葉なのに。

自分の場合はおおよそ育った家庭においてのことで、思い出したり、親族に会うとなるだけで必ずと言って良いほど気分が悪くなり嘔吐し、パニックを起こし冷や汗をかき、睡眠や食欲がおかしくなって、猛烈に消えたい気持ちに襲われる


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猛烈に消えたい気持ちを長いこと持ちすぎてそれで、自分の存在が気持ち悪くなった。自分が好きだし自信もある、生活に不満はないけど、猛烈に消えたい衝動が消えない。環境では覆せない何かを未だに持っているらしい。

自分の存在がないと思える方が楽になり、思考停止した思春期を過ごした先には、自己の存在に違和感を覚える結果になってしまったが、そこで自分の存在を確かめるようにセルフポートレートを撮り続ける生活を続けていた。


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今は自分の家を持ち、家の布団に横たわれば猛烈に消えたい気持ちもおさまってくれるので、セルフポートレートを撮ることもなくなった。

でも、他の人が私の撮った写真を見て、自分の存在を確かめる御守りみたいに扱ってくれてることがたくさんある。撮り続けようと思う。


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依然として消えたい気持ちが無くなったわけじゃない。この身体を許せる日が来るまでは、己の根底に向き合って撮り続ける必要があると感じている。

なんつーか、こういうマイナスって呼ばれる感情とか感覚って、形にしないとなかったことにされるじゃん。それがいや。ちゃんと傷ついたりしてようが、なかったことにされるのは恐ろしいことだと、ハッキリ思う。


というわけで、 #この身体を許せる日が来るまでは という企画を始めます。普段の撮影料は頂きますが、己に向き合いたい人がいたら連絡ください。基本的に夜の暗闇、または暗い室内で、顔や身体に衝動を描いて、撮影する予定です。

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六月の個展で発表できたら良いなと考えてる、シリーズ。

セミヌードもしくはヌード、着衣の街撮り撮影もしたいな。先ずはサンプル撮りたいなというところ、、、気になる方連絡ください。撮影1人目のみ無料で撮影します。


ご応募待ってます

7427extra@gmail.com

サポートしていただいた売り上げは、今後の活動費用に充てさせていただきます。どうぞよろしくお願いします。