不発弾にみる、香港と日本の歴史
先週、香港の湾仔(ワンチャイ)で、2つの不発弾が見つかった。
なんでも、鉄道会社が地中を掘っていたら、出てきたらしい。
不発弾の重さは約450kg。
しかも、発見された時、不発弾は今にも爆破しそうな危険な状況であった。
日本でも、たまに不発弾が見つかることはあるが、これは大ごとである。
湾仔というのは、コンベンションセンターや政府機関、ビジネス街、または沢山のレストランが立ち上る、香港の中でも中心部の1つなのである。
こんなところで、爆発が起きたらえらいことである。
不発弾の処理には、24時間以上かかり、その間近隣の人々4,000人が避難したという。
そんなわけで、事態を重くみた香港の法機関は、MTRという香港の鉄道会社を市民を危険に晒したという罪で、訴えた。
なぜなら、土地の金属探索を怠っていたからだ。
戦時中、香港が沢山の爆撃を受けたのは香港人なら知っている史実である。
日本人が知らない香港
実は、あまり知られていないが、1941年から1945年まで、香港は日本の支配下にあった。
私が不勉強なのか知らないが、台湾や朝鮮は有名であるが、私はシンガポールも、香港も、日本の支配下にあったことを、実際に住むまでよく知らなかった。
シンガポールの元首相、故リー・クワンユーに至っては、日本の諜報部で働かされていたという。
シンガポール人なら、誰でも知ってることである。
しかしながら、私は詳しく習った覚えが、日本ではない。
ほとんどの日本人は、さらっと習ったか、知らないのではないだろうか?
第二次世界大戦時、日本の支配下にあったという理由で、香港はアメリカの戦闘機B24やB25によって、沢山の爆撃を受けた。
あまり知られてない歴史。
でも、香港が日本の支配下にあったということは、不発弾の形で爪痕が残されている。
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