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小さい時に「ぼくのなつやすみ」をプレイしなかったことを一生後悔している話

2023年7月28日、ニンテンドースイッチから「なつもん!20世紀の夏休み」が発売され、かなりのヒットを飛ばしている。本作は昭和時代の夏休みを疑似体験できる「夏休みアドベンチャーゲーム」で、ディレクターは綾部和さん。ご存知、「ぼくのなつやすみ」シリーズの生みの親である。

ps1ソフト ぼくのなつやすみ


初代「ぼくのなつやすみ」は2000年にPS1で発売されたゲームだ。2000年というとPS1でも末期の方ですでにPS2が発売されていた時だったが、かなりの売り上げを記録し、2002年には続編である「ぼくのなつやすみ2 海の冒険編」が発売されてこちらも大ヒットを飛ばした。コンセプトは一貫して「かつての夏休みを体験しよう」ということなのだが、20年の時を経ってもこの手のゲームが未だに需要があるのは、やはりノスタルジーの魔力がかかっているからなのだろうか。「なつもん!」が人気であるからなのか源流である「ぼくのなつやすみ」も再評価されているとかされていないとか。

さて、私はというとこのシリーズには馴染みがない。特に人気だった初代と2の時は両親がPS2を持ってはいたものの私がまだ1〜2歳なので、もちろんプレイすることはなかった。3はPS3でリリースされたが、PS3はほぼオンゲーが幅をきかせている状態でPS2とは雰囲気がガラッと変わっていたので、そのハード自体を持つことは考えなかった。PSPでは初代と2のリメイク、4が発売されていたが、当時はモンハンがめちゃくちゃ人気で、PSP=モンハンを遊ぶハードというのが私の認識であった。

とまぁ、私はこのシリーズを遊ぶ機会には恵まれなかったということだ。しょうがないとは思うし、めちゃくちゃ人気だけど実はやったことないというタイトルなんか山ほどある。ただ、この「ぼくのなつやすみ」シリーズだけは

やらなかったことを本当に後悔している。

今からでもやればいいのでは?と思うかもしれないが出来ない。無理なのだ。それは環境の問題とかではなく、もうこの手のゲームを楽しむことが出来なくなってしまったのだ。

当たり前だが、このゲームではモンスターといった敵との戦闘するシーンは無い。あったとしても悪者の悪事を暴くために証拠を集めたりすることだけだろう。実際にオラァ!とぶん殴ったりはしない(そうだよね?無いよね?)。私にとって「戦闘が一切ないゲーム」はもう苦痛でしかないのだ。

私は普段、アクションゲームやシューティングゲームでは反射神経をバリバリに研ぎ澄まし、RPGではボスを倒す為に何十時間とかけてレベル上げをし、シミュレーションゲームではひたすら最効率で資源を得られるように最適解を見つけるために必死こいて頑張ってしまうのだ。これが私にとってのゲームの楽しみ方である。そんな常にジタバタしている私が「ゆっくり夏休みを満喫して下さい」と言われようもんならものの数分で「ウギャー」と泡を吹いて倒れてしまうだろう。少し大袈裟かもしれないが、本当にそうなのだ。全く集中することができないのだ。

私が生まれた時からこういう人間だったならば、特に後悔は無い。元々合わない人間だったと割り切れるからだ。ただ、私は昔、この手のゲームも楽しめたのだ。

私が小学生の頃、いや、読者でも同じ体験をしているものはいるだろうが、ゲームなんか年に5つ買えればいい方だった。誕生日やクリスマスに買ってもらえるかスーパー超ラッキーで親が気分が良い時に買ってもらえるかぐらいだ。私は小学1年の時にはすでにゲーム狂だったので、年に数回しかないゲームを買ってもらう時にどのゲームを選択するかに心血を注いでいた。買ってもらう数ヶ月前から市場の調査(トイザらスでゲーム売り場に行く)、聞き込み(学校の友達から最近面白かったゲーム何?って聞く)等は欠かさず行っていたのだ。

しかし、所詮は小学生。想定外のことが起きることは全く考えておらず、想定外の事態が発生した時は阿鼻叫喚した。
「思ってたのと全然違うぅ!!!」
「パッケージ詐欺じゃねぇかぁ!!!」

こんなことはよくあった。しかし、もう一度買ってもらうことは口が裂けてもお願いできなかった。
「しょうがない、遊ぶか」
限られた資源とホビーしか持っていない子供にはこの選択しか残っていないのだ。

そんな"意表をつかれた"ゲームの中で「おいでよ どうぶつの森」がある。これは私の中で思い出のゲームの1つだ。私はこれを小学生のクリスマスのプレゼントとして買ってもらったのだが、思っていたのと全然違ってものすごくガッカリしたのを覚えている。最初は何をすればいいのかがよく分からない、フィールドの狭さ、全く刺激の無いゲームデザインに腹が立ったが、やっていくうちにこの面白さに気づくことができるようになった。住民達とのコミュニケーションや釣りや虫取りでのコレクション要素、何より20:00ぐらいにDSを開き、どう森の世界観に浸って、最高にリラックスしてるじゃん!俺!というふうにハッキリと自覚できる気持ちよさがあった。

なのだが、ある出来事が起きてやめてしまった。この出来事についてはまた今度話したいと思う。ただ、このジャンル自体にはまだ飽きていない。寧ろ、たまの息抜きぐらいにはやりたいと思っていた。それから時が経ち中学生になった時、私はレトロゲームにハマり中古ショップにで古いゲームを買い漁るようになっていた。

そこで見つけたのだ。「ぼくのなつやすみ」を。見た瞬間に、「あ、やりたい。」と思ったのだ。値段を見たら500円。普通に買える値段である。パッケージの裏を見る。

しんちゃんのオトナ帝国を彷彿とさせるノスタルジー溢れるものだった。私は中学生の中では珍しくこの"ノスタルジー"の良さをすでに理解している子供であった。

どうする、買うのか・・・

私は悩んだ。他にやりたいゲームもある。おそらくクリアするのに時間がかかりそうなゲームだ。でも、気になる・・・

・・・

・・・・・

・・・・・・・

私は持っていたソフトを元の場所に置いて、その場を去った。

それから10年が経ち、改めて「ぼくのなつやすみ」をプレイした。5分で投げてしまった。あの時買っていれば、楽しくプレイ出来ていたであろうゲームを自らの手で腐らしてしまった。「ぼくのなつやすみ」だけでない。同じようなジャンルのゲームの畑を全てダメにしてしまったのだ。「moon」も「どきどきポヤッチオ」も「牧場物語」もやってみたら全然自分と合わない。世界観は大好きなのに。

この「昔好きだったものが大人になってつまらないと感じてしまう現象」のことを私は勝手に「玉手箱現象」と言っている。気づかぬうちに、自分が歳を取って考え方や価値観がガラッと変わっていたことである。私はこの「玉手箱現象」が他のものに行き渡らないように今のうちから幅広く触れていくように心がけている。

皆楽しそうにプレイしてていいなぁ・・・ こういうアドベンチャーゲームを楽しめるようになりたいな。もう少し大人になったらまた価値観が変わったりするのだろうか。

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