「ルックバック」を観た 記:大橋
こんばんは、大橋です。
今日は7月26日、7月最後の金曜日です。
来週から8月ということで、すでに学生は夏休みに入ったみたいで、道も電車も空いています。
私は毎朝、子供を幼稚園のバスがピックアップにくるところまで自転車で送りに行くのですが、ラストワンマイルの車道に車が止まっているため仕方なく歩道を通らなくてはならないんです。でもいつも小学生が道幅いっぱいに広がって歩いているのでぶつからないか、ひやひやしながら通っていました。後ろに子供を乗せていると、徐行はできないし、降りて操作するのもけっこうしんどくて、なかなかに難渋していたのですが、今日はめちゃくちゃ余裕でした。K市市長、もう少し道幅広くしてくれたら、住民税少し上げてくれてもかまわないよ。
それではまずはお便りから。ペンネーム ビーフェックストリプルさんからのメールです。
ビーフェックストリプルさん、メールありがとうございました。
私も携帯で見ることありますが電車の中で没頭できないので、テレビドラマとかに限定していて、ちゃんとした映画は子供が寝静まったあとに、ヘッドフォンつけて部屋を真っ暗にして、テレビで観るようにしています。
でも映画館で観る映画は格別ですよね。ほかのことができないっていうのがこのマルチタスクの時代においてすごく貴重なんですよね。一種のデジタルデトックスというのでしょうか。
今日久しぶりに仕事帰りに一人で映画館に行って「ルックバック」観ましたが、私のように一人来ている人、結構多かったです。皆さん、一様に満足そうな面持ちでした。ビーフェックストリプルさんもたまには仕事を早く切り上げて、こっそり映画館に足を運んでみてはいかがでしょうか。きっとすごくリフレッシュできると思います。
さてその、ルックバックの感想です。ここからネタバレも入ります。
大橋個人的には、ものすごく刺さりました。途中で気持ち悪くなって、外で出たい!って思って。
なんでしょうね、あの辛すぎて。あんな思いしたら、自分なら耐えられないって感じてしまって。作り手にとってこれに勝る賛辞はないのかもしれません。
帰りの電車の中でも、そのあとジムでプールで泳いでいる間も、そのあとサウナで汗をかいている間も、ずっと心に斧を叩き込まれたように、傷が残り続けて、京本の気持ち、藤野のそれからについて考えないわけにはいきませんでした。エンディングで日が暮れるまで身じろぎもせず描き続ける藤野の背中が網膜に焼き付いています。
それにはわけもあって、個人的な体験に紐づいているんです。
クラスにいましたよね、絵がうまい子って。
ちょうど藤野や京本と同じ4年生の時に転校してきた、同じ苗字の女子がいまして、彼女がA4のノートに漫画を描いていて。
どんな話だったかよく覚えていないのですがとにかくすごい完成度で、その頃ちょっと絵には自信があって同じように漫画を描いていた私は、ちょうど藤野が経験したような挫折感を味わいました。
んで、やっぱり鳥山明先生の「ヘタッピ漫画研究所」という本を読んで(懐かしい!)、懸命に練習したのですが描く基礎ができていない(本の中で、たしか人体模型みたいので練習するように触れられていたのですが重要度に気づいていなかった)わけでちっともうまくならないんですよ。我流のままそれでも高校生2年くらいまで描き続けましたかね。でもやっぱりうまくならなかった。そこで私の夢はリアルな人間関係に引き継がれていくのですが、それはまた別の物語です。
ちなみに最近読んだ本で、「もし夢がすべてかなうのだとしたら何を願うか」という問いあったのですが、私は迷わず漫画家でした。
個人的に一番ぐっときたのは、終業式後に自尊心を取り戻して雨のあぜ道をスキップしてる藤野の姿です。自尊心って大事ですね。ニヒリスト気取っていた藤野のプライドが京本の放課後を見て砕け散るところから、あのスキップまでの緊張感って、大なり小なりみんな体験として持っているのではと思います。とても懐かしい気持ちと苦しい気持ちを行き来しましたが、総じてとてもよい体験でした。藤本先生ありがとう!そして、素晴らしいアニメ―ションを作ってくれた押山監督ありがとうございました。
※結局書ききったのは7月29日の深夜となってしまいました。
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