【詩】押すと死ぬボタン

押すと死ぬボタンがあったとして押すかどうか
これは究極的な問題に思えるかもしれないけど
僕にとってはちょっとした状況の違いで答えが揺れ動くもの
とってもつらいことがあったらつい押したくなるだろうし
楽しみにしてたことが目前まで迫ってるときにこれを押したくはないと思う

まず定義から
ボタンを押した瞬間に科学的な原理は無視してとにかく即座に死ぬものとする
死ぬと意識は途切れて自分は何も知覚出来なくなるものとする

これを押すかどうか考えると
例えば
「まだ生きたいから押さない」
「普段死にたいと思ってるから押す」
「なんだかんだで怖くて押せないと思う」
みたいな感想を持つ人が多いんじゃないかな
僕はこの3つ全てに共感出来るよ
いつも長生きを意識して生きてるけど
実はつらいことがあったらすぐ死にたいと思う
でも行動に移すのが怖いから自殺なんて出来ない
これが僕の生きてきた理由

でも
怖い思いをせずに死ねるとしたらどうだろう
もちろん死ぬこと自体を恐怖と捉える気持ちもある
つまり二度と目が覚めないことが怖いっていうこと
だけどそれ以上に僕が思うのは死に至る過程が怖いんじゃないかってこと
痛い思いをしたりそれを想像したり
あるいは死にきれなかったときの絶望を考えたり
そういうことが自殺の出来ない1番の理由じゃないかと思う
だからこんなボタンがあれば自分は何も感じないまま死ねるから怖くないんじゃないかと
死を想像する恐怖さえ無いときなら簡単に押せてしまうんじゃないかと思う

さて
最初に書いた通り
これを押すかどうかは大変な違いに見えて
実はほんの少しだけの違いなんじゃないかと思う
最後に僕がどんな状況ならボタンを押してどんな状況なら押さないかを書く
みんなはいくつ共感してくれるかな

「大切な人から酷いことを言われたら押す」
「趣味のゲームが楽しいときは押さない」
「未来のことを想像して怖くなったときは押す」
「美味しそうなものを食べようとしてるときは押さない」
「ミスをしてしまって恥ずかしいときは押す」
「夢がいつまで経っても叶わなくて苦しいときは押す」
「夢が叶っても多分押す」
「夢が叶いそうで上手くいってるときは押さない」
「自分の苦手なタイプの人が成功しているのを見たら押す」
「面倒なことをしなきゃいけないくらいなら押す」
「夜眠るときは押さない」
「朝起きたときは押すかもしれない」
「頭がとても痛いときは押す」
「乗り物にとても酔ったら押す」
「体がとても痒いときは押す」
「人と仲良く話せたら押す」
「旅行の最終日の朝に押す」
「綺麗な景色を観てるときは押す」
「大切な人の愛に感激したら押す」
「大切な人と楽しく生きたら最期は抱き合いながら2人で一緒に押したい」

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