山に籠りたい
お風呂が好きなのよね。平気で3時間は入ってる。
物理的な遮断ができる。解放される。インターネット回線からも。人との柵からも。
裸。清。水との一体化。自然に帰ること。
トイレも好きなのよ。下半身を出して排泄を行うプライベート空間。大好き。
ただ、時間が限定的すぎるし、開放感、清潔感という意味で風呂に劣る。別に風呂場でおしっこしても代案とはなる。
生理的快楽を求めた殻に閉じこもる、という欲求を満たしたい。
3時間と言わず、24時間でいいでしょう。
ユングが塔に籠ったって言う話がある。心理学者の。
チューリッヒ湖畔のボーリンゲンに土地を買って、石を手積みした。
休日は1人でそこで過ごし、畑を耕し、薪を割り、自分で料理を作って、思索に耽る。
心理療法の実践と講演で忙殺されてたユングは、自分自身との対話と、内的な成熟が必要だった。ボーリンゲンの塔は母親の子宮であると形容した。
風呂は塔であり、胎内だ。
不可抗力な不便さって、最大の利便でもある。合法的なオフラインってこと。
「ごめん、寝坊した」より、「ごめん、山に籠ってた」の方が納得感があるし、諦めがつく。
今流行りのデジタルデトックス?する?山でも買ってYouTubeするか、チベットあたりでお恵みを受けながら修行してもいいかもしれない。
それはある意味正解かもね。
それで終わっちゃつまらない。
いや、達観した風を出しても、世俗から抜け出せる再現性っていうのはない。しょうもない。
本当の意味でつまらない。
人間性を捨てられないからこそ、つまらなく感じる。結局、覚悟がない弱い人間なんだよ。風呂も3時間が限界。
じゃあ、山に籠って面白くする?
話変わって、面白いとはハイコンテクストであることだと思う。まあ、自分自身で面白がれればそれでもいいんだけど。
要は、身内ネタ。それが狭ければ狭いほど。限定的であればあるほど面白い。
ここにさっき言ったオープンワールドであることの消耗とつまらなさが繋がってくると思わない?
開けたインターネットっていうのも時代にそぐわないと思ってる。不快さや分かり合えなさが当然のようにあるのを無視している。
ノイズでありストレス。
ネット社会もリアルでも当然。
つまり、最大公約数的な繋がりは内的な成熟にも繋がらないし、当たり障りないことばかりで面白くない。
人間関係って基本害悪なのよ。
「人との繋がりは大事にしなさい」って習った?矛盾はしてない。
ほとんど害悪だからこそ、好きな人は大事にするのが普通で、敵対する人にも慈悲の心を持つのがおすすめなんだけど、まあ再現性は低そうなのでここでは割愛。
塔に石を積んで、身内ネタに生きれば良い。
最大公約数的な…でもう一つ、つまらないものがある。それは金だ。お金はあらゆる交換権として成り立っているけど、誰でも使える定規であって最もしょうもないもの。
人生において、大事なものは何?と聞かれて「お金」は多分、ベスト10にも入ってこないかなぁ。
かと言って、下から数えた方が早いなんて言わない。お金は欲しいし、無いから苦しんでいる。
足りない物を補完するために、汎用性のあるツールがお金なので、まあ1番に据えなければいいんじゃない?
お金が一番大事っていうのも気持ちは分かるけど、無味乾燥で薄っぺらくて脆い人生だと思うわ。
別に金がなけりゃ死ねばいい。そうなる前に誰かに助けてもらってもいい。
結論。
人生から逃げ続けるために、山で畑を耕し自給自足をしよう。
寂しいし、孤独だから、閉じたインターネットで身内ネタをこよなく愛そう。
ほどほどに人間性は捨てて思索と気付きに生きる。
あとは、五右衛門風呂でもあったら最高かもね。
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