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生まれ持った気品と備わった勁気【マリー・アントワネット】

※2007年2月に某所にアップした文章の転載です。

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学生時代、オイラたちが根城にしていた学内の芝居小屋に、同い年のプリンセスをお迎えしたことがあった。そう、少し前にプリンセスを廃業し東京都職員とご結婚なさった、あのサ×ヤである。何でまたそんなことになったのか…とか、事前準備や当日警備など色々大変だったことなんかは、まあ、はしょりますけど終演後観客席から立ち上がり、おっとりと一礼された姿を見て「ああ、やっぱり人種が違うのねー」と思ったことを覚えている。


えー、なんの話かというと、映画を観てきたのですよ、某女史絶賛の「王妃マリー・アントワネット」。ホントはね朝の時点では「バブルへGO!タイムマシンはドラム式」を観てから続けて2本観ようと思ってたのね。でもシゴトが終わんなくてさ・・・。結果で言うと多分それで正解。2本観たらへろへろだったかもです。


マリー・アントワネット、いわずと知れたブルボン王朝最後の王妃にしてオーストリア・ハプスブルグ朝ヨーゼフ2世の末妹、「パンがないならお菓子を食べればいいのに」、「文句があるならベルサイユへいらっしゃい」のあの方である。


この歴史上の人物をかの「ロストイントランスレーション」のソフィアコッポラ監督がどう料理したか・・・てーと、これがフリルとピンクとクリームとイチゴをシルバーブロンドのカツラの上からおフランスの香り馥郁たる香水と一緒にぶちまけたような極彩色絢爛豪華。
でも要所要所でヨーロッパの自然を美しく撮ったカットやカットインするロックサウンドが単なるコスチュームプレイにはさせないぞと腕まくり。そんな映画。いやー目の保養よ、ホント。


また、こうキャスティングがねー、マリーがオーストからフランスにやってきて最初にベルサイユに入城するシーン。どうやってこんなに(悪い意味で)フランス人臭いフランス人集めましたか、いう感じでめっさ可笑しい。しかも「マダム・ポリニャック」だの「フェルゼンさま」だのがでてくるとなれば、どうにもココロノドコカデ別ノモノガタリガおーとろーどサレテ・・・脳内できゃー!と叫ぶ生き物が。


さて、ご存じのとおり、マリー・アントワネットの怖ろしいほどの浪費と奢趣と賭博癖はなかなか世継ぎが生まれなかった精神的抑圧からだといわれており、しかもその理由は夫たるルイ16世がちんちん立てると大変なことになっちゃう人(真性包茎)だったから(なんせ手術したら翌年第1子誕生ですから)なのですがその辺りは、あからさまかつ上品に処理されておりました。


作中でもマリーの出産シーンを固唾を呑んで見守る貴族たちの姿が描かれていたのですが、ものの本によれば当時のベルサイユ宮は一般人にも解放されていたそうでこの出産は当時の市民も大応援で見守ったのだという。でもって無事お子さんが生まれてよかったね!ってんで市民たちが「大好きなアントワネットのコロッケから太陽が顔を出したのをオラ見ただ」って囃子歌を作ってルイ16世に披露したんだそうだ・・・ああ、市民に開かれた宮廷。


さて、物語はオーストリアの田舎娘(この辺微妙で実際にはオーストの方が文化程度は高かったかもしれないのだが、都会ではないのは確か)が、都会の水に洗われながらもすごいプレッシャーで一寸イっちゃてる様子を描いた前半と、やっと得たコドモと都会の中に人工的に田園を作った小離宮(プティ・トリアノン)での生活&フェルゼンとの浮気を描く中盤(それにしても産みたての卵を採りに来る王妃と王女のために事前に卵についた鶏糞をキレイにぬぐっておく…ってーのはなんか現代社会への警句めいていたね)を経て、後半。


革命の炎燃え上がるベルサイユでこれまでどおり浮世離れした生活を送り続ける王室のなんと毅然としていたことか。父として、王として気丈に振舞い、遅きに失したとはいえ国民のために政治的転換を行おうとするルイとそれを支えるマリー。その表情にはかつてのあどけなさはみじんも無く、一国の王と王妃としての気品が漂う。
ベルサイユに押しかけた民衆にバルコニーから一礼した、その姿は「純粋培養のノーブル」の凄みを感じさせてくれた(その姿を観て民衆が翻転、パリに向かうというこのシーンはおそらく実話である)。


物語は王の一家がベルサイユを離れる(その先に待つのはヴァレンヌ事件である)その馬車の中で微笑みあう王と王妃、そして民衆に荒らされた王と王妃の寝室、かつて臣民が王太子の出産を固唾を呑んで見守ったあの寝室を写して幕を閉じる。


なお、マリーは死刑が決まり断頭台に送られる際の手紙で「なんら恥じることはない。罪とされて断頭台に昇るわけではないのだから」と書き記している。

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