デレマスSS【黒埼ちとせと天使の笑顔】




※人外設定あり ご了承ください。








ーーー目を開けたとき、私たちは業火の海の中にいた。


「……ちゃん。…ちとせお姉ちゃん」
朝日が差し込んだような声が聞こえた。私に触れ、私を慕い、私に輝きを与え、そして、私の真実に気づいてしまった黒髪の少女の声が。
私はその少女を炎から守るために抱え込むような形で倒れていた。声が聞こえたことで、少女の命を守れていた事実を認識し、安堵した。
でも、そう言ってはいられない。周りは業火に包まれ、城は崩落が始まっている。このままここにいれば、私も少女も、文字通り灰となる。私は良いが、少女は人間だ。熱で体力が奪われ、焼け焦げる前に命が停止する。一刻も早くここの場から離れないと。

しかし、体が言うことを聞かない。背中は焼け、動こうとすれば身体には激痛が走る。痛い。痛みなんて大丈夫なはずなのに。もう、翼を再構成して飛び立つ力も、残ってはいない。
…当然だ。私はこの少女を守るために吸血鬼としての力を、ほとんど注ぎ込んだのだ。少し休めば回復はするだろうが、丈夫な肉体も、肉体を変化させる力も、私からは失われてしまったようだ。

それでも炎は容赦なく私たちを襲う。火の粉が肌を焦がし、城をささえていた柱は焼け落ちて轟音が響く。もう、時間は無い。

「ちとせお姉ちゃん。逃げないと」

少女は私の顔を見て、枯れそうな声で言う。よく見ると、少女の美しい顔はすすでひどく汚れていた。アメジスト色の瞳は、業火を映して濡れていた。

「……ごめん。私は…ちょっと、無理そう」

そう言うと、少女の顔はひどく歪んだ。ごめんなさい。でも、あなたを抱えてここから脱出する力は、私にはもう残っていない。魔女との混血である私は半人前の吸血鬼。そこまで考えて、自分の力をセーブできるほど器用ではなかった。全力で少女を守ることしか、できなかった。

幸い近くに窓がある。この城の下は森。下に火が回っていないことを確認して、残っている力を全て振り絞って少女を投げ飛ばし、運よく木の幹に引っかかれば、少女だけは助かるはず。木の枝に引っかかった時に顔に傷がついてしまうかもしれないけど。命には代えられない。

「でも、あなたは生きて。お願い。私は、ヘイキだから」

私は体を起こした。痛い。でも、何も守れない痛みよりはマシ。そう自分に言い聞かせ立ち上ろうとした。その時、少女が言った。

「…ダメだよ。ちとせお姉ちゃん」

弱弱しい、けど、強い意志を感じる声だった。

「ちとせお姉ちゃんも、生きなきゃ」

どうやらこの子には、すべて見透かされてしまう運命らしい。私が吸血鬼であることも、自分の命を切り捨てようとしていることも。月が太陽の輝きに勝てないように、夜の嘘は朝日によって照らされる。少女の顔を見た。さっきの歪んだ顔でない。助ける、という偽りのない顔だった。眩しすぎて、直視できないくらいに。

そして、少女はすべてを悟ったかのように、来ていた服の首元を、その小さな手でびりびりと破いた。そして、首を傾けた。私に差し出すような形で。

「私の血を吸って」

そう、だ。ここでニ人とも助かる唯一の方法。その行動は確かに合理的な判断だった。12歳の人間の少女がとる行動としては賢過ぎるくらいだったが、少女の表情は優しげで、嬉しげで、昔どこかの教会で見た絵の中の天使のようだった。

だけど、私は半人前の吸血鬼、不器用な吸血鬼。その成れの果て。少女を少女のまま生かせる自信は…無かった。

吸血鬼は血を吸った対象を殺し、生き返らせ、眷属とし、自身はその血をエネルギーに変換する。今の私が目の前にいる12の少女の血を吸ったら、私が少女を抱えてここから飛び立つか、飛び降りても問題ないくらいの養分は確実に確保できるだろう。しかし、少女の肉体や精神にどれほどの影響を及ぼすかは…わからない。死ぬかもしれないし、生きるかもしれない。辛うじて生きても、二度と目を覚まさないかもしれない。そして、吸血する際にその力加減のコントロールができるほど、今の私は器用ではない。

その可能性を一瞬でも考えなかった訳ではない。でもそれは、ナシ。仮にその方法をとって二人とも助かったとしても、それは、私が望んだ結末にはならない可能性が限りなく高い。

私が望むのは、少女がちゃんと、曇りなく生きていくことだ。私が守った少女が未来を生きていくことだ。

死にぞこないの吸血鬼がこれから生きたところで、価値などない。意味などない。それは、無だ。この炎の中で灰となり消えることで、少女の未来が守られるならば、私はそれで良い。

「吸って。ちとせお姉ちゃん」

炎が回る。崩落が激しくなるのがわかる。時間は無い。少女は私に近づいて、迫る。

「吸えないよ。だって、あなたは私に……ちゃんと、生きてほしいから」

少女はそれを聞いて、ムッとした表情をした。そんな顔も見せるんだ。かわいい。そう思って私は少女を抱きしめた。強く。この手から離れるまでの間に少女を感じ尽くすくらい、強く。そして、だからお願い、生きてね。私の分まで。そんな台詞を言いかけた時だった。


「私だって…ちとせお姉ちゃんに、生きて欲しい。」


生きて、欲しい。


そんなことを心の底から言われたのは、生まれて初めてだった。

だって吸血鬼は、死なない。そういうものだから。

人間に死を望まれたことは何度あっても、生を望まれたことは、いままでの生の時間の中で、一回きりとも無かった。心を支配しない限り、忌み嫌われ、恐れられる存在。それが私たち。

そして、私。黒埼ちとせは、不完全な吸血鬼。魔女との混血。純粋でないが故に、限りある千歳の生を持つもの。だから、同類に死を羨ましがられ、妬まれ、虐げらた。

弱い私は、人間と同類の狭間で苦悩した。自身の存在を何度問おうとも、吸血鬼であるがゆえに、神に尋ねることすら叶わなかった。

そう、でも、その目の前の少女は確かに、「生きて欲しい」と、言った。

その願いに、私は強欲にも、応えたいと思ってしまった。

私は抱擁を解き、腕の中で少女の顔を見た。アメジスト色の瞳、白い肌、朝日のような笑顔。かわいいかわいい私の天使。その存在を慈しみ、心に刻み付け、この命ある限り永遠に忘れないように。私は業火の中で目を閉じた。少女を犯しつくさないように全神経を集中して。少女の首元に顔を近づけ、その薄白い肌に優しくキスをした。

「弱い私でごめんね、千夜ちゃん」

「大丈夫。私も、優しいちとせお姉ちゃんを忘れたりは、しないから」


業火が城を焼き尽くし、そこには一切の穢れも残らなかった。白いレンガで積まれた城は赤く染まり、朝日が昇るころには、黒き廃墟と化していた。

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「お嬢様、ちとせお嬢様」

目を開けた時、そこには朝日が広がっていた。

「うーん……、千夜ちゃん。朝日は肌の大敵だって…知ってる?」

「私にとっては、朝のお嬢様の眠気こそ、大敵です」

あの日から、5年の月日が経った。

今私たちは、青い地球の日本という国の東京と言う地で、数人の使用人とともにひっそりと暮らしている。

「今日はなにを作ってくれたの?」

「精力をつけてもらうため、ハンバーグを入れています。朝食はいかがいたしましょう?」

「フルーツだけでいいよ」

「承知しました。お弁当はこちらに」

「ありがと、千夜ちゃん」

何の災厄も、異形も混ざらない平穏な日々を、私たちは5年の間暮らしてきた。千夜ちゃんも今ではすっかり17歳の高校生。もう少しで受験勉強、大学生。そのあたりまで見届ける。いや、見届けられたら、幸せだ。


あの日、千夜ちゃんの血を吸った代償は、想定していたより小さいものではあった。こうして肉体も成長し、意識も安定している。日常生活を送る上での不自由は無い。これは本当に幸いだった。

しかし、吸血鬼に血を吸われたものは、その精神性を汚染される。これはどんなに手加減をしても免れないものだと解っていた。魅了の魔眼でさえ、目を通じて相手の精神性に大きく影響を及ぼす。血を吸うということは、それを直接相手の中に働きかけるということだ。

だから千夜ちゃんは私の「僕ちゃん」となった。でも、それは私が死ねば解かれる呪いだ。もう長くない私の命を考えれば、彼女の人生を少し狂わせる程度で済む。影響は最小限のはずだった。

だけど、私が未熟で不完全な吸血鬼であるが故に、予想だにしないことが起きてしまった。潜在意識の混流だ。あの日の私は自分の命を無価値なものと判断し切り捨て、彼女のみを救おうとしていた。厳密な言葉にするのはちょっと難しいが、自己犠牲的な精神状態だったのだ。そして、少なくともそれを客観視できるほど冷静ではなかった。

そして、その意識が千夜ちゃんにまで影響を及ぼした。千夜ちゃんは元の精神性を私の精神性で上書きされ、自分を無価値な人間であると定義してしまっているようだった。血を吸った後、千夜ちゃんは気を失った。城を抜け出し、安全な場所へ移り、数日後意識が戻った時には、もう天使の笑顔は消えていた。

私がいなくなった後の心残りは、それだ。千夜ちゃんは、私がいなくなっても自分の価値を見出せるだろうか。そして、それを与えてくれる人間を見つけれられるだろうか。不器用で心を閉ざしてしまったあの子を、どうにかして救えないものか。

私は千夜ちゃんを色々な場所に連れて回った。色々な遊びも戯れもした。もちろん普通の学生と同じように学校にも行かせた。千夜ちゃんに色々な経験をさせてあげれば、天使の笑顔も戻ると思って。前よりはよくなった気がするけど、でも、根本的なところは戻っていない。

そして、私はというと、吸血鬼の力はあまり残っておらず、肉体も大きく弱体化していた。去年は病院で一年を過ごした。吸血鬼の体に人間の治療を施しても、そこまで良くなるわけでは無かった。もってあと、数年というところだろう。医師はそうは言わなかったが、私にはわかってしまった。

このまま、穏やかに命の炎が尽き、千歳の生が終わる安堵と、千夜ちゃんへの不安を残したまま、彼女に看取ってもらいながら、この世を去る。仕方がないが、そうなるものだと、思っていた。


「お嬢様。そういえば、今日はあいつからレッスンだとお聞きしています。何時にお迎えにあがりましょう」

そうなるものだと、思っていた。



続く。

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