「どれが本当の自分か?」なんて考えてたときもあったけど

結局はその時その時の、いろんな人の前でそれぞれに見せる顔のすべてが自分なんだなって今は思う。


どうして「本当の自分」なんてものを探すんだろう?自分は自分であるだけで、もう自分なのにね。


考えてみると、「こうありたい理想の自分」からはかけ離れた行動をとってしまったり、現状に満足できないときに「こんなのは本当の自分じゃない!」と信じたいが故に、周りの人や環境のせいにしながら、どこかで「本当の自分」をずっと探していた気がする。


それがいつからか、少しずつでも年齢と経験を重ねてきたからなのか、自分はどこで誰といたって紛れもない自分なんだ、って思えるようになった。これはどこかで諦めも含んでいる気がする。


だけどそれは後ろ向きな気持ちではない。


友達といるときのはっちゃけた自分も、家族といるときとんでもなく機嫌が悪くなったりする自分も、会社で猫かぶりまくる自分も、全部自分。わたし自身。


人間いろんな顔があって当たり前。
その時々で気持ちは違うし、接する人によって関係性が違う。話す内容も話すトーンも、全部それぞれに変わってくるだろう。


だから、居心地が悪く感じるようなコミュニティがあったとして、今までは「わたしとは合わない人ばっかりで自分らしくいられない。もっと自分を出せるようなところにいたい、ここにはいたくない」という思考にすぐなりがちだったけど、

「居心地が悪い、と感じるのが今の自分なんだな。じゃあ居心地をよくするためになにかできるかな?まぁそもそも多少居心地悪くてもそういうものとして割り切っちゃえばいいか!」


みたいな考え方をすることはできるようになった気がする。

まぁ本当に心の底から居心地悪くてどうしようもなかったらそこから離れるべき時もあるけど。


もっと自分を認められるように、そしてそこからいい方に変わっていけたらいいなと思ってる。




仲のいい友達といるときに思ったことでした。


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