読書感想文~柴山和久「元財務相官僚が5つの失敗をしてたどり着いたこれからの投資の思考法」

【要約】
 本書は首尾一貫して長期分散積立投資の有用性を喚起している。まず筆者自身の投資の失敗談から始まる。留学した際、銀行に厚遇を受けて言われるがまま金融商品を買い、結果損をしてしまった。実際の投資信託の中身やリスクを把握していなかったのだ。また、過去のリターンの高さを鵜呑みにするのもよくない。というのも過去の実績よりたまたま上手くいったものが選抜されて金融商品のパッケージに載せられる。銀行からの厚遇は怪しいものである。
 次に筆者の奥様がアメリカ人であり、義理の親が自身の親の10倍の金融資産を築いていた事実に衝撃を受けたという。彼らが上手く金融資産を築くことができた理由は、長期分散積立投資を若いうちから継続して続けてきたからであることを知る。世界経済はこの20~30年間で何倍も成長しており、その恩恵を受けることができたためだ。彼らは、プライベートバンクに投資信託をして長期分散積立投資を実践していた。これはまだまだ日本には浸透していない投資の概念であるが、世界的には標準的な投資の手法である。現にアメリカ人は金融資産の大部分を投資で運用しているのに対し、日本人は大部分を預貯金に回している。さらに、FXや仮想通過などゼロサムゲームのハイリスクハイリターンの短期的な投機が投資のイメージであり、投資に対してネガティブイメージが付きまとっている。失われた20年という言葉の通り、過去の日本では投資による恩恵を受けることがなかった。ゆえに、資産を増やそうと思ったら投機の手段に講じる人が多く、また預金神話が広まっているのも自然な流れともいえる。
しかし、グローバル化により世界に目を向けて世界水準の投資を行う合理性が徐々に浸透してきている。世界経済は成長を続けており、簡単に表すと労働人口×労働生産性で表される。予測では、人口は2050までは増え続け労働生産性もAI技術などのテクノロジーによって上がっていく。ゆえに、世界に目を向けた長期分散積立投資は合理的であるのだ。
 人間の脳は資産運用に向いていない。なぜなら、損を過度に評価してしまうためだ。せっかく積み立てていたものを一時的な恐慌のタイミングで売却してしまいがちである。ゆえに、機械(AI)に資産運用を任せると良い。今後はコストカットの恩恵も得られるAIが資産運用を行うのは当たり前になってくるだろう。テクノロジーのおかげで富裕層向けだった資産運用が民主化しつつある。AIは利用者の利益を最大化する責任を担っている。
 お金とは、自由を得るための手段であり、望まないことをしないために必要である。筆者はお金に関して3つの提言を最後に行っている。
①若いうちは、自己投資で将来の可能性を広げると良い。
②2年分の蓄えを持っておくと、自立した個人として振舞うことができ転職の際に役に立つ。
③収入が増えても生活水準を上げない。幸せとは何かを考える。

【意見・感想】
 本書を読んで率直に思ったことは、非常に合理的に長期分散積立投資の有用性を知ることができ、今まで金融リテラシーの授業や管理工学科で学んできてぼんやり思っていたことが体系化されたような感覚を覚えた。
 まず、本書の最後に出てくる「お金とは?」の話から始めたい。お金は自由を得るための手段であり、望まないことをしないために必要であるという言葉は、非常に感銘を受けた。幸福のためにお金を稼ぐ必要がある。筆者は3つの提言を行っているが、私は全て同意している。①の若いうちに自己投資するという内容は、非常に棘の刺さる言葉であるが、今後も自分に言い聞かせていきたい。家族を持ち、子供の教育や老後を考えなければならない中年に差し掛かってくると、今までの積み重ねの結果が出てくる。お金と自由はある意味トレードオフな関係であり、若いうちに自己投資をさぼってしまった人は、中年になってもなお、時給の低い仕事を長時間取り組まなければならなくなってしまう。場合によっては取返しのつかない現実を迎えてしまうだろう。私は、そのような中年を迎えるのは嫌なので、若いうちは時間を最大限有意義に使い、積極的に自己投資して色々な能力を吸収していこうと思っている。せっかくなら、自己投資や勉強、仕事を楽しみながら行いたい。②,③に関して、何が起こるか分からない世の中なので、収入が突如ゼロになったときに備えたり、組織に依存しない自己肯定な生き方を実践するために、安心できる蓄えを持っておく必要があるだろう。単に収入を増やすだけでなく、支出を減らすことも大事になってくる。筆者はマッキンゼーで働いていたころ、豪華絢爛な環境で日々を送っていたが、幸せを感じることはなかったという。生活水準を上げすぎるとむしろ幸福から遠ざかってしまう。年収1000万を超えると幸福度はむしろ下がるという研究結果がある。幸せとは何かを見つめて、生活水準を上げすぎないように努めていきたい。
 次に、日本全体の投資に対するネガティブイメージがどのように根付いてきたのかをまとめていきたい。日本の近現代史を見てみると、1950~1980あたりは高度経済成長の時代であった。また、終身雇用・年功序列の制度が一般的であり自ら資産を運用しなくとも、老後の生活はある程度保証されていた。また、この時代は銀行預金の金利が10%近くもあった。これは、物価も上昇しており、所得倍増計画に代表されるようにインフレ状態が毎年続いていたからだ。現金を自宅の金庫にしまうだけでは損する時代であった。さらに、1980年代最後のバブル崩壊により、色々な企業や投資家は大損することになってしまった。これらのことから、信頼できる銀行の預金神話が醸成されるのも無理はなかったと思われる。その後、失われた20年といわれ、日本経済は成長の乏しい期間が続いた。つまり、日本の近現代史を鑑みると、投資をするインセンティブがほとんど存在しなかったのである。日本は全体として投資に対する知識を身に付けたり学ぼうとすることがなかったと考えられる。
今度は追い打ちをかけるように投資に対するネガティブイメージも付きまとってしまっている。上記のように失われた20年では、資産を日本株に投資して増やすことが見込めなかった。ここで、労働以外で資産を増やそうと企む一部の人々が投機に走ったのだ。FXや仮想通過などの投機は短期的にハイリスクハイリターンな商品であり、かつゼロサムゲームである。ごく一部の人は大儲けできたかもしれないが、多くの人は彼らのために損してしまう。これにより、「投資は危ない」というイメージが生まれてしまった。
対照的にアメリカは金融資産を投資することが一般的である。自由の国は裏を返せば自己責任の国である。老後の生活資金を自分で構築する必要がある。また、アメリカという国自体が特にテクノロジーの進化によって毎年経済成長しているため、投資をするインセンティブにも恵まれている。これらのことからアメリカでは多くの人が投資の知識を学ぼうとし、前向きなイメージが得られているのだろう。
これからの日本は老後資金を自分の手で構築する必要に迫られている。現行の社会保障制度はいびつな高齢人口分布では十分に役割を果たすことが厳しくなってきているためだ。実際に、金融庁はNISAやIdecoなどの長期分散積立投資を推進し、資産運用リスクを個人に転嫁しようとしている。私たちは、快適な老後生活や将来の自由のために若いうちから正しい金融の知識を身に着けて実践していかなければならない。過去の投資に対するイメージをどれくらいの人が転換できるのだろう?周りの友達にこのような話をする機会がたまにあるけれど、多くの人は寝耳に水のようだ。少なくとも、私は将来”損”をしないために資産運用を実践していきたい。
最後に本書でも述べられているFinTechの可能性と将来の日本の金融のあり方を考えていきたい。筆者は、AIが資産運用を行うことは今後当たり前になってくるだろうと述べている。理由は二つで
①人間の脳は資産運用に向いていないから、全自動に任せてしまった方が良い。
②テクノロジーの進化によって資産運用会社のコストカットができ、富裕層がメインだった資産運用が民主化される。
AIの資産運用がどれくらい広がるかに関しては、全自動にどれくらい信頼をおけるかという話になってくるだろう。人間の脳が資産運用に向いていないのは明らかであるが、信頼をおいても大丈夫そうかを判断したり、選択・決断するのは人間の脳である。判断材料には、幅広い知識が求められる。金融や経済の素養はもちろん、アルゴリズムや計算機の素養、数学や統計の素養も含まれてくるだろう。将来どれだけ多くの人がこれらの素養を身に着けて信頼できるAIを選択できるのだろうか?中身がブラックボックス化してしまえば、結局顧客と企業のゼロサムゲームで営業文句の上手い会社に騙される人々が出てくる懸念を個人的に覚えてしまう。しかし、本当に良いものを選択できる素養がある人は、巨大な自由を手に入れることができるだろう。私も後者の側の人間になれるように日々学びを深めていきたい所存である。

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