再現性のないキャリアの果てに 〜33歳からの海外生活〜

アメリカにきて4ヶ月が経とうとしている。2月の頭に一人で渡米し、家を探して住めるようにして、日本に戻って3月の頭に家族を連れてきたので、家族で来てからはもうすぐ3ヶ月になる。
3月頭はCOVID-19の脅威も認識されだして、渡米して2週間はWFHだった。やっと終わったぜーと思って出勤した3/16午後、Shelter in Placeが発令されて、以後2ヶ月WFHを続けている。
33歳にして人生初の海外生活をするとともに、COVID-19にも巻き込まれ、いくら新しい環境が好きな自分でもこれはなかなかハードモードだなと思ったものの、2ヶ月経って慣れてきたし、Shelter in Placeも緩和の目処が経ってきたので、落ち着いて少し文章を書いてみようと思い立った。少し昔に戻って、アメリカに来ることになった経緯なども書いてみようと思う。

時を戻そう。

汚いキャリア

今僕はAppLovinというパロアルトに本社のあるスタートアップで働いているのだが、AppLovinに入ったのは2016年、社会人6年目の時で、それまで5年間で5つの会社で働いていた。すでに察しの良い方はお気づきかと思うが、平均1年/1社である。正直に書けば、最長2年(これは自分でやっていた会社だが)、最短3ヶ月だった。
この時点で履歴書はいわゆる汚い部類だろう。実際、恐らく多くの人が知っているであろう企業を受けているときに、多くの人が知っているであろう社長の最終面接で、部屋に入ってきて履歴書をテーブルにぱさっと落とされて、開口一番「ひっでー経歴だな!」と言われたことがある。自分でもそう思う。

新卒でDeNAに入ってインフラエンジニアをやってから、ゲーム会社の技術統括、共同創業、起業、20代は本当に色々やった。もっと綺麗なキャリアを歩める人間だったらな、という思いがないと言えば嘘になるが特に後悔はない。
またよく勘違いされるのだが、きちんと大企業に長く勤め仕事を全うしている方々のことは心から尊敬している。なぜなら僕には無理なことが分かっているから。
結局堪え性がないし、キャリアについて深く考えることもしなかったのでこうなったのだ。自業自得である。

しかしそういう行きあたりばったりの人生にはやはり危機が訪れる。

初めて「生きる」ことを考えた日

自分で会社をやって1年半くらいが経った2015年の10月頃、どうにもうまくいかず、ふと冷静に考えたときに自分の個人的な情熱も持たない中でうまくいくわけがないな、と思う日が来た。
会社を畳もうか悩む日々が続いたが、とある関係者の一人から信じられないような暴言(と僕はその当時受け取った)を吐かれたことをを契機に畳んで新たな人生を踏み出すことにした。
それからが割と壮絶だったが、それは割愛して結果だけいうと、少し自分は壊れてしまったのだ。

会社を潰すこと自体にはそこまで凹んでいなくて、仕事を探さなきゃ金が無い(起業している間の月収は15万円だった)というくらいの思いだった。がしかし、その間にあった出来事で完全に心が折れてしまったのだ。
さらには次の年の4月には子供が生まれる、収入を確保しなければならないのに心は折れている、「生きる」ということが人生で最も重く目の前につきつけられた。

僕が出した結論は、とにかくIT系の大企業を受けることだった。大企業にこだわったのだ。
実際いくつか受けて日系は大体落とされて(多分めんどくさいやつ感が出ていたんだろう)、外資でいくつかいけそうなところがあり、なんとか死なずにすむな、と思えるようにはなった。しかしまだ心は折れたままでなかなか眠れない日々が続く。

捨てる神あれば拾う神あり

そんなこんなしてる時に忘れもしない、2016年1月5日国立駅前のデニーズで、もともとカンファレンスのスタッフを一緒にやっていた当時AppLovinの日本オフィス唯一の社員だった坂本達夫さんと全くの別件で出会う。

坂「まんでぃー最近何してるん?」
萬「いやー職探してます」
坂「おーならうちとかどう?」
萬「AppLovinって何の会社なんですか?」

この不真面目な就活生みたいな会話から全ては始まった。

後日改めて、会社の業務内容やら管理画面を見せてもらったものの、広告なんて今まで触ったこともないし正直よく分からなかったのは秘密。
とりあえず管理画面なんかデータいっぱいあって面白そうだし、外資だしユニコーンだし、かっこよくね?と思ったので受けることにした。

ここで忘れてはならないことがある、僕はそれまで一切留学などをしたことがない、つまり英語は日本の受験英語しかやっていない。TOEICなど受けたこともないし、なんならTOEICかTOIECか毎回ググって調べている。
面接がSkypeで音声オンリーであることを考えると、結構やばい状況ではあるのだが、状況が状況ゆえに思ってしまった。

「もう失うものないし」

しかし1つだけ作戦を立てた。どうせ向こうが言ってることは分からん、これは今更どうしようもない。しかし自分が言いたいことは事前に準備できる。相手の言うことは受け流してとりあえず自分の言いたいことを言おう!

そして日本時間朝6時、人生初のSkype英語面接が幕を開ける。

汚いキャリアから再現性のないキャリアへ

Hi、Nice to meet you、How are you? 英語の会話の9割は大体これから始まる。これくらいはいけるぞ。そして面接と言えばまずは自己紹介だろ、と思ったので、自己紹介して、と言われていると仮定して自己紹介。

エンジニアだった、とか起業してた、とかいう話をしていると途中途中食いつかれる。だが大体何聞かれてるのかは分からんかったのでお茶を濁す。
とりあえずなんか経歴をGreatって言ってくれてるっぽいことはわかる。そんなこと日本で言われたことないぜ。

10分ほどして、

面「何か質問ある?」
萬(きた!)「Account Manager(受けているポジション)として、どういうマインドで働けば結果が出せるんですか?また、そのポジション特有の必要な能力とかはありますか?」
面「OK! べらべら(5分ほど)」
萬(大体は分からんかったけど)「Sounds good to me. I hope I can do well.」
面「じゃぁそろそろ時間だから」

ということで相手になるべくしゃべらせ終了。
果たして結果は。。。

坂本さんや、カントリーマネージャーにプッシュしていただいたおかげで、入社までの間に英会話に通う、という条件でオファーをもらうことが出来ました。

後で振り返って思うのは、エンジニアをしていたり、起業をしていた経歴がなかったらこりゃとても受かってないな、ということ。たまたまAppLovinがそういうアントレプレナーシップが大好きな会社だったこともあるけど、面接の最中から、チャレンジしたことに対してすごく評価するようなコメントがあって、全然文化が違うんだなということを肌で感じた。
日本では汚いキャリアでも、もしかしたらどこかでOnly Oneのキャリアだと思ってくれる人がいるかもしれない、そういういい話にしたい。

NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one♪

日系、ゲーム、エンジニア → 外資、広告、ビジネス

そんなこんなで危機一髪、これまでと何1つかぶりのない仕事を始めることになった。これもまた、キャリアアップみたいな観点からは程遠い行動になるんだろうな。

いきなりのサンフランシスコ研修3週間で、1日数時間の広告の座学(もちろん英語)で週末知恵熱出したり、社員のレクリエーションのナパ日帰り旅行で記憶なくしたりしたのはいい思い出。
とりあえず英語は出来なくてもお酒が好きで飲めたのは非常に助かったな、と思った。

そんなこんなで、広告出稿の運用、営業からはじめて、日本の売上も伸び、最終的には会社の方針で出稿側媒体側が統合されたので、2019年頭から日本のビジネスチームをマネジメントすることになった。
広告業界に入ってから色々な方と知り合うことも出来て、皆さんによくしていただいて、外と絡むような仕事はほぼ初めてだったんですが、なんとか3年半ほどやってきました。

それなりに働いて、ジムにも行って、子供の迎えにも行ける非の打ち所のない生活が続いたある日、実際の現場の仕事から離れだして数ヶ月したときだったが、ふとまた悪い癖が出てきて、暇だな、と思いはじめてしまった。

翌日からUS出張が入っていた日に、カントリーマネージャーとコーヒーを飲みながら、

萬「最近暇です」
カ「何かやりたいこととかあるの?」
萬「そうですねー、シンガポールとかアメリカとかで働いてみたいですけど」
カ「じゃぁうちのアメリカでプロダクトチームとかで働いてみたらいいじゃん、エンジニアバックグラウンドあるし」
萬「おお、いいですね」

翌日、US行き機内でSlackを見ていたところ

カ「Adam(社長)に話したら、Love the ideaって言ってたから、出張中に話してきて!」
萬「わかり申した!」

ということで出張中パロアルトオフィスにいき(いつもはサンフランシスコオフィスに行っていた)、Adamと話すことに。

A「プロダクトチームに異動してアメリカに来たいのかい?」
萬「プロダクトチームも面白そうだし、アメリカに住みたいと思ってます」
A「OK、じゃあプロダクトチームのVPと話して!」

って感じで大体3日で異動が決まりました。
もちろんその後ある程度のお試し期間を経て本決まりしたものの、この異常な意思決定スピードにはびっくり。

ここから長い長いVisaとの戦いが始まるんですが、それはまた機会があれば。そんなこんなで、約8ヶ月後の2020年2月、ついにL1Bビザを引っさげてアメリカの土を踏みました。

シリコンバレーの空気に触れて

巡り巡ってMAXというAppLovinが提供するアプリ内ビディングのソリューションのプロダクトサイドの仕事をやることになったが、一言でいうとビジネスサイドと開発サイドの中間のような仕事だ。ビジネスインパクトをちゃんと考慮した上で、開発の仕様、優先度を決めていく。
MAXの場合は他の広告ネットワークとの技術的なやり取りも発生するので、それも担当する。

ボスはMAX創業メンバーだし、もはやなんでも知っている。そんな中に広告業界に入ってやっと4年、プロダクトサイドは初めての僕が飛び込んだわけだ。この差を埋めるのは並大抵ではないし、今もはるかに埋まっていないが、なんとか自分が出来ること、自分しか出来ないことを見つけることは出来たかな、とは思っている。
とはいえハードなときはひたすらハードだし、子供のいる中で細かいデータや英文とにらめっこするのは地獄でしかないときもあるけど、今の所仕事は非常に非常に楽しい。

アメリカの生活も思ったより悪くなく、コストコやトレジョを活用して、美味しいご飯を食べ、美味しいお酒を飲んでいる。この話もまた今度noteに書きたい。

シリコンバレーの空気、特にAppLovinの空気が僕にはよく合っているということを再認識した。毎日やっていることは非常に地味でコツコツした作業ではあるけど、実はそういう作業は嫌いではない。そういう積み重ねが強いプロダクトを作ると、目の前で見て気付かされることも多かった。

ようするにキラキラしてないスタートアップだってあるんだ。そして成功も出来る。

自分のキャリアと向き合って考えた3つのこと

最後に、最近ずっと色々考えを巡らせていることについていくつか。

1. 自分の強み

僕はあまり自己評価が高い方ではない。これは元々認識していた上で、20代後半は万能感に支配され、起業して見事に失敗している。
ここらへんの話は坂本達夫のスタートアップ酒場、で達夫さんと対談したので、こちらへ。前編後編

では何を強みだと言えるのか冷静に自己評価を下した結果、今回見えてきたことが、新しいものを学ぶことが苦ではない、ということだ。
これは飽きっぽい性格を逆にプラスに利用することが出来るし、今回は、エンジニアとしてのキャリアも、起業したことも、ビジネスサイドをやったことも、すべてが礎になってプロダクトマネージャーとして働くことが出来たと思っている。

結局人は完璧ではないし、自分をちゃんと冷静にみつめて、出来ること出来ないことを判断していくことは、いつも大事だなと思う。

2. 運の良さ

僕はギャンブルが弱い。でも人生においては基本的に運が良かったことに気づいた。ピンチに陥ったことは何度かあるが、必ず友人や家族が救ってくれた。これは冷静に考えてまじでラッキーだ。

昔松下幸之助が面接で、「自分は運がいいと思うか?」と聞いて、悪いと思うと答えた人は全員落としたと聞いたことがあるが、これにものすごく納得してしまった。
結局他の人に助けられることが運の良さなのだ。

会社潰して心が折れている時に、飲みに行ってくれた友人たちや、アメリカ行きをすぐにOKしてくれた家族など、もう恵まれているとしかいいようがない。

3. アウトローであること

多分自分はアウトローなのだろう。でもスタートアップは元はそういうアウトローな奴らが集まってた場所のはずだ。死ぬほど金が稼ぎたい、人とは話したくないけどコードは24時間書いてられる、そんな人達が作り上げてきたもののはずだと思っている。

でも、今スタートアップの世界はどんどんコモディティ化してきている。これには人材の裾野が広がる、など色々ないいこともあるだろう。だが、スタートアップは所詮スタートアップなのだから、僕は許される限りやはり突き抜けていきたい。

他の成功者からその秘訣を盗んで一般化して、こういうふうにすると成功確率が高い、あの人がああ言ってるからそれが正しい。それもまた嘘ではないだろう。だけど、スタートアップである以上そんな一般論なんか最後は通じるわけがないんだ、とも思う。

巷には色々なメディアが書いたいろんな記事が溢れていて、その中で日本やアメリカの成功したスタートアップの経営者が色々なことを言っている。そしてそれをうまく利用して、プロパガンダを行う人達もいるのだ。
ハードに働く、は別に時間だけをさして言っているわけじゃないのに、お前何早く帰ってるんだ、スタートアップのくせに、みたいなことを言うやつもいたりするのだ。

結局最終的には自分の目で見て、自分の頭で考えて出した結論しか使い物にはならないと思う。そうして世間様と違う結論を出して、やってみて、失敗し続けてなんとかそれでも生きてきて作ったキャリアが今の僕のキャリアなんだと思う。

自分のキャリアをどうしたらいいか悩んでいる人や、迷っている人は、とにかく納得の行くほうを選んでほしいな、と心から思う。そこで納得していれば、その選択を間違いにしないように人間は頑張るものだ。
そんな人たちが自分たちが突き抜けていくようなスタートアップの世界に、日本であれアメリカであれ僕は身を置きたいと考えている。

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