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「Xで価値のあるポスト」


認知戦という言葉があるそうだ。
ググると、

認知戦とは「偽情報により相手の認識を誤った方向に導き、判断を誤らせる」ことなどを指す。 ソーシャルメディアの発展により、個人の思考や信念を把握し、「カスタマイズされた情報」を特定の対象に配信し、その認知や心理を誘導することが可能になった。 これが従来の心理戦と認知戦の大きな違いである。

ということである。

さきほど「イーロン・マスクがいろんな薬物を使ってるよ!」という記事を見つけた。
これはイーロン・マスクはイメージを落とすだろうな、と思った。

そして、見慣れぬアカウントがイーロン・マスクを擁護していた。
自分は「あー、イーロンはメディアに嫌われているのか、で、そうやってデマを書かれるのか。そうなんだなぁ。」と思った。
ぶっちゃけ、その発信者が誰かも気にしなかった。

そのあとでイーロンを擁護する同一文章のポストが沢山出ているのを掟ポルシェさんがポストで指摘していて、「え!?」と思って検索すると確かにそうなっていた。

さほどイーロンの薬物事情に興味がなかったのもあるが、自分は掟さんのポストに気づかなければこうなっているとも思わなかった。
これも一つの認知戦の即面なのではと思う。

たとえ「工作員」であってもなくてもXで思想を発すると言うこと自体、ある種「認知戦」の中では尖兵として戦っているということなのかもしれない。

それはネット民間義勇兵とも言うべきであり、自分のような、ただただ平和を望む一般市民がそれらのポストを見て何らかの思想に影響されていく事はそんな認知戦に巻き込まれ続けるだけの事なのではないのか?
戦争には巻き込まれたくない気持ちがある。

今回の地震だって黙って寄付すればいいし、褒められたければ、友達には言って「すげー!偉いじゃん👏」て褒めてもらえばいいしゃん。

なので我々は無数のアートや創作、エロい自撮り、雑学、食ったメシの写真やら友達の何気ない呟き、純粋に面白がってもらおうとウケを狙ったネタポストやギャグ。

実はそういうポストこそがXの中に価値を見出していくべきなのでは。

ありがとうの一言です。本当にありがとう!