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人生マッチ箱説

少し私の趣味の与太話

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(写真は東京都の千石駅近くにあるフェニックスのマッチ)

私は趣味で喫茶店のマッチを集めている。大学の教授に感化され、この趣味を持った。

写真で喫茶店の思い出を残して入るが、マッチという形あるものが手元にあるだけで思い出の距離が近くあるように感じる。ママさんやマスターから手渡しされるマッチには、その喫茶店の会話等の思い出が詰まっている。

マッチ集めの傍で、マッチの知識もと思いネットサーフィン。燐寸文化研究所のホームページにあるマッチ百話に「人生マッチ箱説と芥川龍之介」という項目があり、気になって覗いた。


人生は一箱のマッチ


「人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦莫迦しい。重大に扱わなければ危険である。」

この文章は、『侏儒の言葉』の「人生 ー石黒定一君にー」という項目にあるもの。

青空文庫にあったのでパラパラ見てみると『アランの定義集』と構成が似ている。(本当にパラパラ読みなのでご勘弁を…苦笑)気になる項目や概念を見てみるのもいいかもしれない。

せっかくですから、青空文庫のリンクを置いておきます。よかったら見て、共感するものや、ちょっと自分の考えとは違うなというものを探してみては。

人生はマッチ箱。ブログ内で「この言葉を残した芥川龍之介本人は36歳で自死したのだから、力が入りすぎていて燃え滓となったということか?」という文章があった。

力が入り過ぎればマッチ棒は折れてしまう。力が入らなければ、ただ頭薬を擦るだけで火はつかない。しけってもダメですから。


人生において、マッチ箱に入っているマッチ棒は全て燃やしてあげたいものです。

程よい力加減で。

p.s芥川龍之介を調べていたら荻窪の邪宗門いきたくなった。

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