夏の思い出話vol.1

こんにちは、万田林 橙です。
お盆ですねぇ。誰か親類が来ると思ったのですが今日は来ないようなので、いつもは24時以降に更新するのですが…少しお喋りしたくなりました。
以下、私の身の上話です。そして、思い出しながら書いていくのでさらに話は読みづらいかと思います。それでも付き合っていただける優しい方、いらっしゃったら話し相手になって下さい。
ちょっとだけ、今寂しいんです。

私は今実家で弟二人暮らしです。
父は亡くなりました。今年三回忌を迎えました。私は父親大好き人間なのでまだたまに朝起きて仏壇の前に行くと父の写真があることに不思議に思うことがあります。

私は母がおりません。幼い頃は弟と施設に預けられてました。
性別も歳も違う私たちは違うクラスに入って3年間過ごしてました。

私が預けられたのは5歳の頃だったと思います。
自分で言うのもアレですが、昔の事はよく覚えている方なのです。おそらく、それだけ根深く突き刺さって抜けないのでしょう。
私が施設を卒業したのは8歳。小学校2年生の時です。

施設はキリスト教系列の施設で来賓者、施設関係者用の玄関には白いマリア像が建っていました。
廊下には沢山のキリスト教関係の写真。
モルタルの床。廊下は窓がなく陽の光は当たらないので電気をつけないと薄暗いのです。
歩くたびカツンカツンと音がします。
女子と男子の棟が別れていて、弟は玄関すぐの乳幼児のクラスに入ってました。ここは男子も女子も一緒です。ちょうど中間。

食事は食堂からクラス分を取りに行くのですがその廊下が狭くて、灯りが小さい。
そこの廊下がとても怖かったんです。入ってすぐは明るいのですが奥は暗い。
窓がありました。西日が差し込む窓。眩しくて目を細めていた記憶があります。そして、冬はとても寒い。それでも奥に行くと窓はなくかわりにキリスト教関係の写真がここにも飾ってあります。
きわめつけは同じ廊下を歩いていくと突き当たりにあるマリア像の写真。沢山の人がそのマリア像にお辞儀をしている風景が写し出されてました。灯りはそれを照らすように白く光っているのです。
それでも、私はそこによく行きました。
小さい部屋がいくつかあってそのうちの一つ。私がよく話し相手になってもらってたマザーがいたのですがみんなの服を繕う被服室にいるマザー。被服室は服が多いのはもちろん、灯りは裸電球ひとつ。窓がなくて薄暗く、マザーの手元のミシンに灯りが一つ。
いつでも扉は開け放たれてました。
いつも優しくて話をしてたはずなんですが…顔は思い出せません。どんな話をしていたのかも思い出せません。何しろ、20年以上前の話です。

ある日、理由はわからないのですが扉は閉められ被服室に行く事も無くなりました。
閉め切られた扉を気にしながらいつも食事当番の時はそこを通ります。

マリア像の写真が怖いと感じたのはその時からです。
そして、その時からその廊下を通ると早歩きになりました。
なんとも言えない、ぞわぞわとした感覚。
怖い。それしか言えません。誰かに追われているような感覚。
いつの間にか早歩きをして通り過ぎるようになりました。
夏も終わる頃。
涼しい風が吹いて、日が低くなり始めてひぐらしが鳴いて。
そんな、8月の終わり頃だったと思います。

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