鍼灸2回目

褒められたいためにこれまでがんばってきた自分の中の自分に出会えて、泣いた。弔ってあげた。ほんとうにおつかれ。大変だったね。もう大丈夫。君の生い立ちをゆっくりこれから教えてね。

今後同じことを繰り返さないようにする、同じような人に出会わないようにするにはどうすればよいか。

自分の中のたくさんの自分たちの声に耳をすましてみよう。足が痺れてる時には、痺れてるなあと、アラートを出してる自分の中の自分をただ眺める。

暴走気味。ついつい会社辞めるぞー!ていうSSR演出してしまったけど、ただそれはそれ。起きて水飲んで飯食って歯磨いて寝るのと同じ。でも暴走したくなるエネルギーは捨てたもんじゃない気がするな。

武家の礼法、考えてるとミスる。自分の自然な感覚を大事にする。右と左は違う。結果的には精密機械のようないっこいっこの丁寧な動作の積み重ね。

チャーハンとオレンジジュース。新潟の保盛軒でよく食べた。そういえばオレンジジュース飲もうとしてて忘れた。

甘えたい、撫でられたい。認められたいというより、頭の良さとか、目線を下して一緒にがんばろうぜ!とか、今回はムードメーカー的なことやってしまったけど、部活のときみたいに、後輩からの熱烈なリスペクトと支持が欲しかった。先輩からは嫌われやすい?目線を下ろしていたはずが「アホなふりをしたピエロをやる」になったときに、距離の取り方がわからなくて泣いていたのかも。なんか阿部ちゃんを思い出した。阿部ちゃんの代替的機能を求めていたのか?

井上先輩とか宮之上先輩とかいまなにしてるんだろうか。あの頃の、部活に邁進していたあの頃に頑張りまくってた自分。一貫してではなかったけど、部長としてかなりの賞賛というか人望というか、強い信頼関係というと大袈裟かもだけど、エネルギーに満ち溢れたやさしい世界だったかもな。中3くらいまでとかほんとつまんなかったのに、高1になって鬼のようにやる気出し始めて朝練とかやってたよなあ。高1が転機だった。高1高2のときのトロンボーンパートまじで無敵感あったよな。なんで高1から朝練しはじめたんだっけか。部長やらなきゃとかもあったけど、なんか、自分自身が模範となって背中を見せて、背中で語れるようになりたい。あとトロンボーンパートリーダー俺になっちゃったし。中2のみきちゃん、中3のあべちゃん、高1のおれ、ていう体制になったときの不安感のなかで、絶対にどのパートにも負けない、士気も結束力も実力も高い精鋭部隊作るぞ!ていう強烈な意気込みがあった。だから、朝練し始めた時にあべちゃんみきちゃんはじめ金管から朝練文化が根付き始めたのまじで嬉しかったな。一緒に演奏会見に行ったりマック食ったりとかな。これが原体験だ。褒められたいというよりも、俺の行動に行動で返してくれる、共に高めあうそんなチームを作っていた。たしか中3のとき部活がいろいろ混乱したんだよな。田村先生引退されて木村先生とあともう一人「神」ていうオペラかなんかの先生とがいたな。なんで二人体制にしたのかいまだによくわからんが笑。それでぐちゃぐちゃになって、焼け野原みたくなってからの高1だったような気がするな。焼け野原からの復興。

「わーすごーい」ていうチープな賞賛がほしいんじゃないんだよ!「先輩といっしょに俺も朝練行きます!演奏会も行きます!ついでにマックもいきましょう!」なんだよ!得難いよな。

あ、もしかしてさ、たとえば会計のコンテンツ発表したりしたときに「私も会計やりはじめました!飯行きましょう!」みたいなレスポンスが欲しかったのかもな。そうなった時にあの子はレスポンス足りなかったよな。俺からのレスポンスはしっかりしてたつもりなのにな。

褒められたいて書くと、なんか上の人からの一方向的矢印を想起するし、それはまあ言葉による褒めを想定してしまう。でも俺の場合違うな。下からだし、双方向矢印だし、言葉ではなく行動なんだよな。

横浜駅で宮之上先輩とずーーーっと部活を語り合ったり、井上先輩とは磯子の公園で語り合ったな。あれも、褒められるというわけではかくて、ただアツく真剣に考えてたし語りたかったんだよな。

続く

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