呪術note#2  移動する御神体 ~芝大神宮の火防寺社ライン~             

芝大神宮の火防寺社ライン

江戸時代、大火が起きると、幕府は芝大神宮の御神体を荒川を越えた梅田神明宮(うめだしんめいぐう)に一時的に遷座しました。

なぞの一時遷座の距離は12kmほど。

記録では1657年と1760年の2度おこなわれたそうで、前者は「明暦の大火」(めいれきのたいか)と呼ばれ、死者10万人という日本史上最大の火災となりました。
ではなぜ、荒川を越えてまで御神体を移動する必要があったのか?寺社ラインを調べてみました。

            

「駒繋神社デルタ」

駒繋神社を頂点とするデルタがみつかりました。
息栖神社の祭神・久那戸神 (くなどのかみ)は災害を防ぐ神様。つまり、南のラインは海からの高波や風水害を防ぐ「水害除けライン」。
一方の北のラインは愛宕神社(あたご神社・火伏せの神様)で、もちろん「火防(かぼう)ライン」です。
芝大神宮は「水害除けライン」上にあり、太平洋からの風水害から関東を守っていますが、大火が起きたときは、「火防ライン」上にある梅田神明宮に御神体を移転し、普段、抑え込んでいた水気を陸に引き込み雨を降らす、デルタの役割を切り替えるスイッチのような働きをしていたのでした。



将門の井戸

地図で駒繋神社デルタの重点から南西方向を探ってみると、意外な人物の神社がありました。日秀将門神社・・・名前の通り、平将門公を祀る神社です。

  

裏鬼門には、日秀将門神社があてられていました。

この神社には「940年に戦没した将門公の霊が遺臣たちとともに、この手賀沼のほとりの丘で朝日の昇るのを拝した」という、怪談みたいな言い伝えがあります。
100メートルほど東には将門公が掘った井戸もあり、どうやら将門公の乱での戦没者を慰霊する目的で、900年代後期に火防・水害除けを兼ね備えた駒繋神社デルタが作られたものとみられます。
ちなみに、芝大神宮は1598年に近隣から現在地に移転しています。江戸幕府は駒繋神社デルタの存在をあらかじめ知っていて、ライン上に芝大神宮を置くことで水害除けの呪術を強化したのです。そしてそれは、大火で亡くなった霊に井戸の水をお供えする、癒しの寺社ラインにもなったのでした。

そしてさらに、芝大神宮にはもう一つの秘密がありました。


研究活動のご支援をつのっております。ささやかなお礼として本調査のおまけ解説と、先行して次回予告をお読みいただけます。



「八幡の藪知らず」の役割とは

ここから先は

1,179字 / 2画像

¥ 1,000

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?