遠距離恋愛 最初から決まっていた5年4ヶ月のすれ違い
私達は5年4ヶ月すれ違ってきた。
私はいつもどんな別れに対しても思う。
「縁があればまた出会うことができる。必要な縁には必要なタイミングで出会える」
と。
今、必要なタイミングがきて、私達はまた出会った。
そして今という時間を一緒に過ごしている。
思いもしなかった、考えてもいなかったような時間。
『生まれる前に約束して生まれてきてるんだよ』
そんな話を聞いたことがある。
『ここで私にはこういうことが起こるから、ここで現れて支えてほしい』
そんな約束かもしれない。
『ここでこういうことを学びたいから、私にこういうことを言ってほしい』
そんな約束かもしれない。
嬉しい出来事にしたって、悲しい辛い苦しい出来事にしたって、それを前世で約束をして生まれてきて、それを相手がしてくれてるんだと思うことができたら、
「ありがとう」
という気持ちを持てる。
たとえば、私に対してひどいことをいう会社の人が居たとする。
どんなに話し合ってもわかり合えない。
私はその人に対して『嫌い』という感情をまず持つけれど、でもその時の自分ではその出来事をクリアできる力がないからその問題が起こっているのだと考える。
そして、その相手は
『あなたに嫌われることは悲しいけど、あなたがそのことを学びたいのなら私がそのタイミングでその言葉を言ってあなたに学ぶタイミングを与えるね』
という前世からの約束を守ってそれを行ってくれているのだとすれば、その人に感謝の気持ちすら生まれる。
私がクリアできていなかった課題を表面化させてくれてそれに向き合うチャンスをくれる人。
この人が居なかったら私はいつまでもこの出来事に対して何が自分に足りなくて成長しなきゃいけないことはなにで、何が大切なことなのかを学ぶことができないまま進んでいくことになっていた。
5年4ヵ月経ったいま、私達はこうやってまた出会った。
初めて出会ったタイミングからこんな関係になっていたら、きっとこの世で本当にするはずだったことができなかったんだろう。
もしこのブログを一緒にすることがこの人生のひとつの約束だったなら、あのタイミングで関係が進んでいたらnoteもお互い知らないままブログを書くこともできないまま関係が終わっていたのかもしれない。
このすれ違い続けた時間に、私は多くのことを学んだ。
きっと相手もそうだろう。
相手が学んできたことを私は知らないけど、それでいい。
私自身がこの5年ほどの時間を通して何を学んできたのかをわかっていて、それが今に活かせれてると自分で感じることができるから、それでいい。
きっとこの5年ものすれ違い続ける時間がなかったら、お互い今のような関係では居られなかったと思う。
少なくとも、私には無理だったから。
人生は出会うべきときに出会って、別れるべき時に別れる。
それが生きてのお別れになるのか、死としてのお別れになるのかはわからないけれど、いつかは必ず来る。
だからこそこうやって一緒に居られる時間は当たり前ではなくて、限られたものなんだということを胸に、精一杯大切に過ごす。
一緒に居られない時間もそう。
ここでそういう時間を与えられることで何かを学び、また何かを得るチャンスを与えられていると思うから、その時間、その出来事にまっすぐ向き合う。
この出会いで何を学び、どんな成長をし、それを未来にどんなふうに活かすのか。
出会えたことで成長したと感じてもらうことができたなら、私にとっては本望なのかもしれない。
いま私には長年向き合うべきことなのに向き合わずにいることがある。
私の人生の課題。
この問題が心を苦しめ、疑心暗鬼にさせるときも多々ある。
でもこの課題を乗り越える学びを得るために生まれてきていて、それを相手が私のためにしてくれているんだと捉えることができたなら、私は今以上に成長することができるだろう。
その問題に向き合い続けてもう19年。
目を逸らし続けて19年。
いまこのことを打ち明け、聞いてもらい、再度この問題に向き合う勇気を少しずつ育てている。
これも5年もの月日をすれ違い、今このタイミングで出会った意味のひとつなのかもしれない。きっと他にもあると思う。
これから何か起こるのかもしれない。
そのときは、それは私達が成長するために起こったんだと私は捉えようと思う。
それがどんなに嬉しいことでも、悲しいことでも。
そのときに起こるべくして起こっているその出来事は、私達にさらなる成長を与えてくれて、それがまた周りにも影響する。
この世はすべてが繋がっている。
5年4ヶ月ものすれ違いを経て、今このタイミングで出会い、このnoteを2人で書こうと決めた。
自分自身にも向き合い、相手とも向き合い、そしてたとえ少ない人数だとしても読んでくださる方に届く。
遠距離恋愛か、面白い、へぇ〜、いいな、そんな人もおるんや。
それだけでもいい。
何かを感じてもらえてるだけで小さな影響を与えることができているんだと実感できる。
私達のすれ違い続けた時間も、5年4ヶ月かけてふたたび出会った出会いも、この関係でこうやって一緒にいるということの意味も、『note』という存在がさらに意味を成してくれている。
そんな気さえする。
私がnoteの存在を知ったのは2019年4月。
noteとの出会いもきっと、出会うべき時に出会っていたのだろう。
私が出会ってから5年4ヶ月すれ違うこともきっと、生まれる前から決まっていたのだろう。
そんな考え方も、私は好きだ。
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