真夏の日記帳 #57 前職を思い出してみる①

久々の投稿です。真夏です。

大分落ち着いてきたので、今冷静になって、
前職の残業時間を思い出して、記録してみようと
思いました。

れっつ、ごー!

残業時間と労働条件。



結論から言うと、
大体月75〜120時間は残業していました。
(1年以上)

働いていた条件は、こちら↓

・ 8:00〜17:15定時
  (1時間お昼休憩、書類上は途中15分休憩もあるが、
  実際は休憩等できない)

・ 朝は7時〜7時半には出社

・ 残業禁止になるまで残業は、20〜22時まで。
  労基対策で、途中で残業禁止へ。

・ 残業禁止後も、仕事は山程あるので、
  申請無しの残業をしていた。
  残業は19時までは黙認。

※ただし、残業申請がないので、
みなし残業20時間以上の残業代はなし。
(入社時にはみなし残業の記載なく、規定改訂の10日前くらいに、告知され、サインしないといけない状況に追い込まれる)

残業申請しても上司や社長に難癖をつけられて、(明らかに終わる量じゃないのに、仕事の効率が悪いから…等)
申請ごと揉み消されてました (*゚∀゚*) ゞえへ


・ 残業できないからといって、
  上司が変わってくれる訳もなく、
  対応するしかないので、結局持ち帰り。

朝3時ごろ起床→2時間弱仕事→朝の準備→出社

の生活。


結果。

一年を超えたあたりから、
精神的に辛くなっていました。

・希死念慮が出ていた
・勝手に涙が出てくる
・夜寝れない&朝早く目が覚める
・何となく頭が痛い、気持ち悪い

症状がひどくなってきたので、頭痛薬は常に持ち歩いていました。

趣味で声優さんのイベントへ参加していて、それで自分の機嫌を取っていたいたのですが、コロナ禍で県外に出れなくなったので、限界へ。

昨年の11月の時に限界が来て、何かがプツンと切れ、気づいたら退職願を出していました。
次月には辞められず、社内規定で3ヶ月以上前からの退職申請だからと言われ、揉めたくないので、担当現場が完了する3月末で決着しました。

が、

仕事が終わらず、辞めると決めていた3月では、
実質月4での休み。
(休みの日は資格学校に行ってました)
何故か。

有給消化したいと、2ヶ月以上前から上司に相談していましたが、上司→社長へ相談しているはずもなく、社員が直接社長と話すことは原則禁止だったので、辞める月のシフトを決める際に、有給を申し出たことになっており、全部の有給は消化できないと言われました。

\(*゚∀゚*)ノははは(笑うしかない)

最終的に、(承諾を得た上で)話し合いの内容を録音して、有給をもぎ取りました。

しかし
工期ギリギリの現場は、毎日が闘いだったので、終わるはずもなく、何とか勝ち取った有給を捨ててまで、現場に行っていました。(元も子もない…)

毎月残業は、100時間は超えていたと思います。
(タイムカードの記録が残っていないので、
明確な数字は分かりませんが…)

当時のやりとりは前に詳しく書いていたので、リンクを貼っておきます。


振り返って。

当時を振り返って、
まぁ、やめる決断をしてよかったと思っています。

再就職が大変だと思うので、頑張りどころなんですが…

業界が業界みたいなところもあるとは思うので、他社さんも同じような境遇なのかな…と不安に思う部分もあります。

強く生きよう…。


P.S.

今心配なのは、残してきた同期(たった1人になってしまった)と今年入った新卒の子(私とは入れ違いでした)。

新卒の子は大手を蹴ってまで内定が決まっていたのですが、条件が契約社員みたいな条件だった(入社1年後に継続か退職かの意思を聞いて決める。ただし、会社からの解雇もあり)ので…。
同期には私分の仕事がいってしまったのと、愚痴を言える人がいなくなってしまったんですよね…。

無事でいることを願っています…。



真夏

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