コロナウィルスを知って以来、何を体験して来たか?

 4月25日、パフスクールのオンライン講座に参加した。今回のコロナ騒ぎがなければ考えられなかったことだ。20年ほど前、田舎に引っ越した時から、東京での催しに出ることは難しいと思ってきた。交通費もばかにならないし。それで自分の住んでいるところ、人口8万に満たない小さな町で社会と関わって行こうと考えていた。

わたしの日常は、数年前から現役を少しづつ離れ、「憲法9条」「反原発」「子ども食堂」などの地域の市民活動が主になっていた。

 TVでは、2月初めの、感染者を乗せた「ダイヤモンド・プリンセス号」横浜入港以来、連日コロナ関連報道が続いている。インターネットでは、中国の武漢市民への暴力的な取り締まり映像や、日本では船内の混乱ぶりを伝える「ダイヤモンド・プリンセス号」に乗り込んだ感染症専門家の岩田医師の映像が流れている。

マスクも店頭から消え、スーパーの食品棚にも空きが目につく、食料は大丈夫か? 家族が多ければ大量買いだってしたくなるだろう。その行動を批判はできない。

 3月に入ると、いろんな集まりから人が少しづつ引いていき、活動は低調になって行った。しかし、「子ども食堂」は急遽、テイクアウトに切り替えることで何とかしのげた。4月10日から5月6日迄、地域活動センターなどの公共施設が閉鎖されると、予定の会議も催しもほとんどが停止した。

 会議はZOOMでのオンライン会議に切り替えた。年齢的にパソコンは利用していてもZOOMは少しハードルが高い。まずは始め方の勉強会をしなければならない。Wi-Fiの使える公共施設が閉鎖されたため、ショッピングモールに集まって、スマホ利用者だけで勉強会を開いた。電波状況が安定せず、人との接触も避けるためにあっちにうろうろ、こっちにうろうろ。後日パソコンで数人の参加でお試しZOOM会議。猫が登場したり、各人の暮らしの一端が垣間見えるのでそれなりに面白かった。

 感染者が多く出ている首都圏からは離れているのでさほどの危機感はなかったが、ただ感染しても無症状の場合もあるとのことで、相手のそして自身の感染リスクを計っている自分がいた。

 歯医者さんも命懸けの仕事という記事を読んで迷惑かと思いキャンセルした。4月の10日以降はぷっつりと人と会うこともなくなった。代わりにパソコンにかじりついていることが多くなった。2011年のフクシマ原発事故の時に似ている。あまりに唐突な出来事と突然の空気感の変化。静かだ。

 いったい今、世界で何が起こっているのか?感染症パンデミックって? ウイルスって? 世界の経済活動を一斉に停止させてしまうほどのものがあるなんて想像もしなかった。それが新型コロナウイルスってことなのか?

気が付けば、日常が非日常になっていた。

エンデの遺したことば 「お金が変わらなければ世界は変わらない」を思い出していた。地球上の99%の富を1%の人間が所有しているというバランスを欠いた、いびつな世界。お金とは人体に例えるなら血液のようなもの、それが広く行きわたらず滞っている。コロナ禍の中で私たちは「お金の本質を問う」ことができるのだろうか?

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