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私が1番尊敬する人


私がこの世で1番尊敬する人。

私は祖母のことを小さい時から
"ちゃあちゃん"と呼んでいます。

ちゃあちゃんは結婚してからは
祖父が経営しているお茶屋さんに
毎日立ちながら、家事や子育てを
していました。

いつも自分のことは
二の次で、いつも目の前の人や物事に
一生懸命です。
そんなちゃあちゃんに会いに
人が集まるので、いつもお店は
ちゃあちゃんに会いたい人で溢れてました。

台所に立っている時も、
家族に1番美味しい状態で
食べてほしい。自分は調理しながら
ほとんど食べずに出してくれたり、
日曜しかお休みないのに、
私達家族が遠方に住んでる時は
毎週日曜朝からきて、夜ご飯まで
いてくれていました。
それも、毎週欠かすことなく、近くに
引っ越すまで絶対来てくれました。


そんなちゃあちゃんを私はずっと
人の犠牲になっているように
みえて、もっと自分のしたいこと
沢山すればいいのにと思ってきました。


いつもちゃあちゃんは私に言っていました。
"人には優しくしなさい"
"笑顔で挨拶したらみんな笑顔になるよ"
"ありがとうは循環するよ"

人に優しくできているかどうかは
わからないけれど、私は笑顔で挨拶するのが
私の普通になりました。
笑顔が素敵だね。愛嬌があるよね。
とよく言ってもらえるのはちゃあちゃんの
おかげだと思います。

今思えば、ちゃあちゃんは
どんな小さなことでもお礼をいいます。

私が家に行けば、来てくれてありがとう。
顔見せてくれて、ありがとう。
元気でいてくれて、ありがとう。
ご飯を美味しく食べてくれて、ありがとう。
一緒におしゃべりして楽しい、ありがとう。


お店に来る人も、ちゃあちゃんと
お喋りするためだけに来て
お客さんではない人もいっぱいいたけれど、
全員に沢山のありがとうを言って
それだけでなく、お土産まで渡す始末。

ちゃあちゃんは、
どんなに美味しいものをもらっても
孫に食べさせたい。
娘に食べさせたい。
友達に食べさせたい。
それがたとえ1個だったとしても。
それがどんなにすごいことか。
ようやく30年生きてその凄さが
身に染みてわかりました。


自分がいること、話すことで
みんなの笑顔が見れることが
1番のしあわせだったのかな?
それがちゃあちゃんにとっての
"生きる"なのかなと勝手に思います。

そんなちゃあちゃんは
認知症になって、施設にはいってます。

身体が弱ってお店に立つ日が減って
これまた勝手にだけど、
ちゃあちゃんにとっての"生きる"が
だんだん減っていったんじゃないかなって。


それでも、パーテーション越しだけど
会いに行けば毎回号泣して、
たくさんのありがとうをくれて、
認知症のはずなのに、人のことは
全然忘れないし
"〇〇さんは元気か?"とか他人の
ことばっかり。
根っからのgiver 与える人なんだろうな
って心の底から思います。


きっとちゃあちゃんはどんな
環境にいても、状況になっても
giverでポジティブなひまわりみたいな人。

私には難しいことだけど、
周りの人に沢山の感謝と笑顔を
与えられる人に少しずつなって
いきたいな
って思ってます。
ちゃあちゃんの孫として
産まれてきて、私は本当に幸せです。
いつもありがとう。愛してるよ。

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