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今が人生で一番裕福

おばんです🌙
学さんです🍀

いつもnoteに書きたいこと山ほどあるのにアプリ開いたらダルくなる現象なんなん🤓

さて。
学さんの家庭環境は別に貧乏だったわけじゃありません。
中の下くらい。
ただ、タイミングが悪いと本当にひもじかった😭

お父さんは土木作業員。
いわゆるドカタ。
ただ、世の中のイメージのドカタとは違うと思う。
もともとは自営で、のちに岩手に本社を置く土木系の会社の正社。
ユンボで伝わる?
バックホー。ショベルカー?
工事現場にいるゾウさんみたいな重機🐘
アレのはちゃめちゃにデカいやつの操縦者。オペレーター。
そのサイズ扱えるの宮城県内で何人かしかいないらしい。
ワイも工業高校の土木科出てるから授業で乗ったことあるけど、左右にある操縦桿それぞれ使って機体を前後左右動かしたり、アーム伸ばして土とか岩とか掬う。
ラジコンみたいでおもしろいけど、操作ミスったらアーム一振りで人間真っ二つにできる。
それのクソデカサイズ乗ってるのがお父さん。
んで、高速道路とかインターチェンジ、橋とか、大きな施設とか作ってる。
「俺の仕事は地図に載る仕事だ」って昔から言ってるけど事実そうだから、お父さんの仕事してる姿にはリスペクト感じる。

で、今は色々法律も変わってそのへんの仕事もガチガチになってきたけど、10年前まではかなり治外法権だった。
働いたらその分カネになるから積極的に残業してた。
普通の家庭の世帯主の年収ってのがわからないけど、宮城県の片田舎で中卒のジジイが貰うにはそこそこだった。
けどそれはワイが成人してたから学校にかかる費用が消えた状態でそこそこなもんで、学生時代は正直「あれ?うちって貧乏?」と思うところはあった。
まして成人するまで頑なに家庭の経済事情教えてくれなかったしね。

お母さんは普通にパート。
今の職場は安定してるけど、前の職場はドドドブラックだった。
朝7時に出勤して夜10時に帰ってきて月収12万円。
それはさすがにヤバすぎるしエグすぎるってことくらいは世間知らずなワイでもわかった。
けどお母さん長いものに巻かれたあと逃げられないタイプだからマジで大変だった。
当たり前に労基入って目付けられてたけどギリギリのところ社長が回避してるモンだからたちが悪い。
最終的にお父さんがガチギレしてカチコミかけてどうにかなった。
お母さんもしばらくは洗脳されてた状態だったけどゆっくり休んでメンタル立て直して違う職場行った。
まぁ今の職場は職種的にもろにコロナの影響受けまくって傾きかけてるらしいけど……。

最初に「え?」って感じたのは中学の時、同級生が体操着と制服3着ずつ買ってもらったって話してて、「そんなに何着も買うものなの?」と驚いた。
うちは全部一着ずつ。
週末に洗って干せば別に問題なかった。
しかしどうにも、中学受験して進学校入ってくる生徒ってのは親がそこそこ裕福らしい、と徐々に気づいていった。
医者の子とかいたしね。
けど特にそれで困ったこともなかった。
確かに他の子の話聞いてると遠くに旅行に行ったとか海外行ったとか聞くけど、ワイは全く興味なかった。
ていうか部活のためだけに学校行ってたからそれ以外のことほぼどうでもよかった。
しかし決定的に焦ったことが修学旅行の積み立て。
なんせ頭の良い学校だったし中高一貫だったから、中3の3月に"語学研修"という名の修学旅行がオーストラリアへ1週間ホームステイ。
ご予算なんと30万円超え。
親から「お金なくて積み立てられない」とか言われたわけじゃないんだけど、他の子んちみたいに裕福じゃないうちには厳しいだろうと焦って「海外なんて怖くて行きたくない!」「飛行機が怖くて乗りたくない!」「どうせいじめられてるんだから行っても楽しめない!」「英語なんて話せない!」と必死に理由をこねて修学旅行に行かせるのを諦めさせた。
ちなみに高校も修学旅行行ってない。
あと中高一貫の中学入ったのに工業高校に進んだいきさつはそのうち書くね。

世間知らずなワイはお金の価値をよくわかっていなかった。
ある日親に「なんでうちは定額お小遣い制でないの?」と聞いてみると「お金ある時はあるけどない時はないから」と答えられた。

そう。
親父の仕事の一番の問題点がそこ。
「ドカタ殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の3日も降ればいい」って都々逸があって、工事現場って雨が降ったら仕事ができない!😭
土ビショビショになるからね。
そのせいで梅雨の時期と雪がよく降る時期は強制的に仕事できない日が増える。
めちゃくちゃ空のコンディション良くて働き詰められる時期と毎日雨降りの時期ではお給料が20万円ほど違う。
そうなると絶対必要な支出以外を切り詰めるしかない。
貯金?ねーよ!😇
あったとしても使えねーよ!

という切実な理由により我が家ではお小遣い制度がなかった。
ただ貰えなかったわけでもなくて、「〇月〇日〇時に〇〇ちゃんと〇〇へ行くのでお小遣いください」という申告制だった。
今思うと高校生にもなって5W1Hの申告が絶対だったのはうちの親の毒ぶりが見える。
けど、昔から別に強い物欲ってのがなくてあまり物を買った記憶がない。
ただコンビニフードが好きすぎてつい食べ物買っちゃってたけど🍗

そしてワイは高卒後からほぼずっと家でニートしてた。
23歳くらいの頃から精神障害者向けの地域活動支援センター通ってたけど、工賃はほぼ小学生のお小遣い並。
自分ではニートなことをすごく気にしてたけど、「アンタが働けるはずないでしょ!」と親に言われまくって半分諦めてた。
「学費がない分今はあまり金がかかってないから気にするな」って言われてうのみにしてた。
けど、うちの祖父母4人の病院代と介護代と施設代と葬式代が一気に押し寄せて家計が逼迫して事態は変わった。
10年のうちに4人の祖父母みんな死んで、全員うちで介護したし看取ったし、うちが葬式その他諸々全部カネ出した。
そのせいで一時はガチで食糧難に陥って……ご近所さんから貰いまくったお野菜だけで乗り切った時期もある🍅🥒🍆🫑🧅

今思えばワイは「うちはカネがない」という洗脳状態だったのかもしれない。
実情とワイの脳内のイメージが乖離していたことに気づかなかった。
障害者手帳の等級が3級から2級になり、それに合わせて障害年金も受給するようになった。
偶数月に14万円入るのを、ワイは振り込まれたその日に全額出して親に渡していた。
親もそれを何食わぬ顔で受け取っていた。

マナくんを連れて来る、マナくんと結婚すると決意した時、お金の問題は後回しだった。
あのままマナくんを大阪に置いといたら自殺するんじゃないかって思ったから。
で、連れてきたはいいものの共に無職。
お母さんの手を借りて色んな病院連れてって、マナくんも発達障害と解離性障害を診断されて障害者手帳も取れたけど、実家にいたら結局親の毒にやられるから家を出なきゃいけなかった。
けど働いてないしカネもない。
そこで初めて生活保護という案が浮上したけど、そのことをお義母さんに相談したらめちゃくちゃ否定された。
「知人に生保受給者いるけどどいつもこいつもロクでなしばかり。マナにはそんな風になってほしくない」って話がこじれて、一時期は義親が生活費いくらか出してくれるって話だったけどそれも二転三転して流れた。
その時点で二人揃って主治医から「就労は難しい。認められない」って言われてて八方ふさがりだった。
うちのお母さんは生保という選択を否定はなしなかったけど、肯定的でもなかった。
最初は両母親の望む形で妥協するしかなかったけど、2022年夏についに限界突破してうちの施設の代表に泣きついた。
その数ヶ月後からグループホームへの入居が決まって、それに合わせて親からの仕送りを一切辞めてもらって生活保護と障害年金で生活することになった。
我々は夫婦だけど世帯分離して、それぞれ生活保護を貰っている。
とはいえ障害年金がベースだから足りない分の補填で、現金で貰えるのは月2万円くらいだけど。
医療費と薬代かからないのが何より一番嬉しい。
二人とも飲んでる薬がアホほど多いしワイの婦人科の薬なんて10割実費だと2、3万円するから。

グループホームの家賃や生活費、作業所の工賃なんかも自力では計算できないから職員に管理してもらってる。
その中で我々の生活に必要なお金の流れも見えてきて、今はだいぶペースが掴めてきた🌸
そして今の我々はだいぶ精神的満足度が高い暮らしをしている🌈
マナくんは気になるゲームを相談して買ってるから常に好きなゲームをやってられる🎮
マナくんにとってのゲームは人生のセーブポイントだから外せない。
ワイはあまり物欲はないけど、好きなだけドライブできる🚙
実家時代、門限はなかったんだけどお父さんが帰ってくる前に家にいないとお父さんが怖いオーラ出すから実質16時までには家にいなきゃならなかった。
でも今は好きなだけドライブしていい!
ガソリン代も職員に計算してもらってるからよほどのことがなけりゃ気にしないで外に出ていい。
コンビニのコーヒーを買ってもいい☕
それでも不安になってついマナくんに確認しちゃうけど、毎度毎度ちゃんと安心させてくれる😚
お菓子を好きなだけ買って好きなだけ食べても怒られない。
拒食期にご飯を食べなくても怒られない。
21時以降起きてても、夜中に眠れなくてスマホ触ってても怒られない。
ここでの生活はだいたい何しても怒られない!!
大きい声が聞こえない、怖いオーラを感じなくていい、夜でも大きな声で話せる、歩く時忍者歩きしなくていい……なんて幸せな環境なんだ!!!

今までは自分で自由に使えるお金という概念を与えられなかった。
それで苦労もしてないと思ってた。
でも今こういう環境で生きてわかったのは、お金を使っていいという感覚は心に余裕を生む💗

マナくんはマナくんで実家時代、ワイ同様お金を自由に使うということができなかった。
ましてマナくんは高校卒業後鬱って引きこもってたから余計にあまりお金を使う機会がなかった。
マナくんの好みのゲームはほぼ父親が買ってきたのをプレイしてるから、欲しいゲームがあっても父親に相談するだけでよかった。
関係ないけどうちの父親は"オタクキモいこの犯罪者予備軍が"系でゲームや漫画やアニメに否定的だったけど、マナくんの父親はどっぷりオタクだからゲームも漫画もアニメも大好きだし「マナ〜、新しいゲーム買ったぞ〜」って父子でプレイするタイプ。

夫婦揃ってそんなもんだからわりと今でもお金に対する感覚は一般的ではないかもしれない。
節約術とかわからない。
それでも生活できるようにサポートしてもらってるけどね。
特にワイは欲しい物を買うという行動が上手くできない。
「お金を使うことは悪」みたいな感覚を刷り込まれて今でも完全には解毒できてない。
それに加えて計算能力がなさすぎて、10以上の数を暗算できない。
足し算も引き算も、脳内でやろうとするとフリーズしてしまう。
だからつい1000円札を出してしまうけど、マナくんと支え合いながら、職員に手伝ってもらいながら日常生活を送っている。

少なくとも実家にいた頃は欲しい物と必要な物の違いがわからなくて、絶対必要な物すら「買ってほしい」とは言えなかった。
生理用品とか、ブラジャーとか。
我慢すればなんとかなると思ってたし、そうしていた。
でも今思えばアレは必要な物なんだから、買っていいものだったんだな。
子どもの頃、親戚やご近所さんからお年玉を貰った時、ワイはすぐにお菓子を買ってしまうのに弟は全額使わないで貯めていた。
そうすると親から「学はすぐ金に尻せっつかれる」「弟は貯金して偉い」って言われまくった。
毎年毎年15歳くらいまで言われてた。
そのせいで"お金を使うことは悪だ"って刷り込まれて、欲しい物と必要な物の違いもわからなくて、「買ってほしい」と言えなくなった。
今でもその呪いは深くて、何度もマナくんに確認してしまう。

そしてマナくん自身に自覚はないけど、マナくんの実家はそこそこ裕福だった。
毎年家族で長野へスキー旅行に行ったり、山口や宮崎、北海道の星付きホテルでフレンチディナー、ハワイ、グアム、ヨーロッパ旅行も行ったらしい。
ワイは大人になるまで東北以外を知らなかった。
大阪と宮城の違いもあるかもしれないけど、たまに裕福エピソードが出てくると驚く。
けど結局二人ともろくに働いたことがないのでお金の価値観は世の中の人とはズレてるのかもしれない。

今の生活は本当に満たされている🌕
やりたいことだけをやって、やらなきゃいけないことを強制されない。
朝起きて、部屋から出てもいいし引きこもっててもいい。
好きなタイミングで好きな物を食べて、昼間にお風呂に入ってもいい。
もう怖い思いをしない。
自分たちでできないことはサポートしてもらえる。
ようやく楽に生きられるようになってきた🌈

ていうかしっかり書こうとすると5000字超えるんだけど、長いよな……もっと読みやすく書けたらいいのにな……😇

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