後ろ向きで歩いてみたら気づいたこと

ありがたいことに
我が家にはトレッドミルがあるので

体を動かしたいな〜
でも外で走るのはいろいろ面倒くさいな
という時は
トレッドミルで走る。

というかここ2年くらいは
トレッドミルでしか走っていない。

なんでわざわざ外でも走る風な言い方をしたのかというと
アメリカに引越してきてから1年半くらいは
外をバリバリ走っていて
ハーフマラソンのレースも
何度か完走していていたから
あの時の栄光の
引きずりが生じているだけ。


今日は「50分は走ろう」と決めたのに
体が重くて継続できない。
断念しかけた時
ふと
歩いて休憩して、また走り出そう
と思った。

さらに
ただ歩くだけだとアレだから
後ろ向きで歩いてみよう
と思い立った。



予想していなかった。

速度を最低速度にして
後ろ向きで歩いてみた瞬間の
鳥肌感動体験といったら!!

私の背面の感覚神経が全開になった。
背面のあちこちに散りばめられていた
たくさんの目が突然ガッと開き
意気揚々としはじめた。

転ばないよう
ほとんど無意識に足を運ぶんだけれど
それに加えて
背面全体で
周りの背景から距離感やスピードの情報収集をしている感じ。

トレッドミルにぶつからないよう
足をもつれさせて滑り転ばないよう
静かに
超集中している状態はまるで

体全体が脳になった。かんじ。

思考が働いていないと
体表面で受け取る刺激を
ダイレクトに知覚できる。
そんな感じかな。


前面を向いて走るだけだと
すでに脳に刷り込まれている情報があるから
既存の経験値や情報をもとに
大して「いま」の情報を使わずに
処理してしまう

だけど後ろを向いて歩くのは
脳に何も情報がないから
サバイブするために (転ばないように)
「いま」の情報を全力で感じ取らないといけない。


つまり
後ろ向きで歩いてみると

使っていない感覚器官の開発と
思考の排除

を体感できるっていうこと。


これってさあ。
わたし的には大発見かもしれない。


突然 話がぶっ飛ぶようだけれど
"誰にでも本来は
テレパシーの能力があるけれど
使っていないから忘れてしまっているだけ"
と何度か聞いたことがある。

私はテレパシーができる人の存在を
絶賛 信じているけれど
一度も自分ができるようになると思えたことはない。

だけど今日の気づきは、
私にも、自分なりに
自分の体の感覚としぶとく向き合う時間を作り
瞑想などを通して思考の排除に取り組めば
テレパシーの能力が開発できるのではないか。
と信じるに十分な体験だった。


まあ 相変わらず私のことだから
能力を開発して実現したいのは

いつか動物と話せたらな〜
いつか動物の体の中で起こっていることを
手のひらから感じられたらな〜
そうしたらスーパー動物看護師になれちゃうな。
ムフフ。
という
けっきょく 動物関係。


だけど、
テレパシーが使えるようになったとして
生身の動物の脳みそを覗いてみたら
実は(案の定?) たいしたことは考えていなかったりして。

キラキラしているか、していないか。
楽しいか、そうじゃないか。
怖いか、怖くないか。
好きか、嫌いか。
食べたいか、食べたくないか。
いつも、それだけ。

そしてその単純な脳内処理と行動を
ダイレクトに結びつけると
人間のコマンドに従って
お行儀よく行動できる犬猫が登場するのかなあと。
逆にトラウマを作るのもそれと同じ仕組み。


いわゆるアニマルコミュニケーターと言われる人たちが話している相手は
その動物のハイアーセルフさん的なエネルギー体で
それと繋がれば
まるで感情や意思があるようなメッセージを受け取れる。

だけれど
目の前の動物が
脳内で考えていることはめっちゃ単純。
それが私の推測。


科学的に証明できるものだけがすべてじゃないのは鼻からわかっている。
だけど科学的に証明できないものは
自分で体感しない限り信じられない。

だからすべてのことにオープンになって
生きているうちに経験できることは
すべて経験してみたい。


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