「丁寧に生きる」とは。

久しぶりにちゃんと文章を書きます。

実はここ数ヶ月、いままでにしたことのないチャレンジをしていました。それは、自分がなぜかずっとジャッジをし続け、避けてきたことであり、同時にわたしをとても安心させるものでもありました。

それは、普通のOLになること。企業に雇われ、週5で働くことでした。

ことの発端は昨年末。ライター・編集、そしてアクセサリーデザイナーとして、ありがたいことに自分のキャパがオーバーするくらい忙しくなりました。

そのときに起こったことは「文章が書けない。」

いや、実際のところはある程度のものは書けるのです、プロですから。でも、出来上がったものに、明らかにエネルギーが乗っていない。そこにあるのはスカスカの、上っ面だけの「文」。

文章を書くのは好きです。

というより、息を吸って吐くように書けるのです。わたしにとって文章を書くということは、「お役目」のひとつであるということを、かなり小さい頃から認識して生きてきました。

でも、そのときに起こったことは自分がほんとうに思っていること以外書けない。という、ある意味ではライターとして致命的wな出来事だったんですね。

だから、わたしは書くのをやめました。

で、なにする?ってなるわけですね。

わたしにはアクセサリーもあるけれど、正直それだけで食べていくのは厳しい。でも、わたしはフリーランスだ。だから、会社に雇われずになにか自分のビジネスを立ち上げなければならない。集客しなければならない、人気者にならなくてはならない、そのためにはカリスマ性のあるブログでも書いてFacebookで発信して、まずはお茶会で集めて、バックエンドに高額セミナーを・・・・

無理でしたw

わたしはなぜか思春期くらいから、「ひとと違うことが自分の個性」だと思っているところがあって、普通に大学行って就活して恋して友達作って休日にはイベントに出かけて・・・みたいな、いわゆる普通のことをなぜか自分に一切許可できずに生きてきました。

おまけに、フリーランスで数年やってこれてしまった。いまさら会社に雇われる身に戻るなんて恥ずかしい、ダサい!というジャッジがものすごく強かったんですね。

たぶんこれ、元ミュージシャンとか社長とか(元経営者ってあまり聞いたことがないけれど)にも当てはまることなのではないかと思うのですが。

ざっくりとそんな経緯で、わたしは人生で初めての就活をスタートさせました。

サクっと決めて働きたかったので、わたしが選んだのは「派遣社員」でした。いま思えば、ちゃんと転職エージェントとかに登録すればよかったのかもしれないけれど、相談に行くのとかが面倒だったwのと、もしかすると「私!私!」っていう個性で雇われるのがシンドいってどこかで思ってたのかもしれません。

採用されなすぎて落ち込む

派遣社員は、名前とか働いていた会社名とかは伏せた状態で、実際の業務としてなにがどれくらいできるかっていうことだけが先方にシェアされて、マッチングすると、派遣会社の人とともに会社見学と呼ばれる顔合わせに出向いて、感触が良ければ採用となる、ある意味ドラスティックなシステムです。

本腰を入れて仕事を探していたのは実質2ヶ月くらいのものでしたが、わたしめっちゃ落ちたんよ。

けっこうな数の会社さんに見向きもされませんでしたwというのは、自分の価値を自分でまったく把握せずに、なんとなくエントリーすることを繰り返していたからです。

理由はわかっていつつも、やはり人間って「不採用」とか言われると落ち込むもの。なんか「どうしてこんなに人生うまくいかないの?」とかいってドラマクイーン気取りで号泣したりもしました!ww

いま思うと、おまえあれだけ体験してきた引き寄せの法則どこ行った?って話なんだけど。

冷静に考えると、わたしは普通の会社で普通に働いた経験がほぼ皆無なので、エクセルとかもできれば使いたくない(というか嫌い)だし、一方でイラレとかのほうが得意だし、実務というよりすべてコミュニケーションでなんとかしてきた部分がとても大きいのに営業はやりたくないからw

そりゃあ世の中的な需要がなくてもしょうがないよねって話。

結果的には、そんなわたしにぴったりな職場にたどり着くことができたと感じています。まだ数日しか勤務してないけれど。

日常のいとおしさに気づく

そんなわけで、わたしは数年やってきた自分の時間を好きに使えるという「自由」を手放し、いまは週5日、会社づとめをしています。

時間の自由がなくなったことで、逆にわたしは自分の時間を大切にするようになった気がします。

今日は日曜日だから、こうして昼間っから空を見ながら文章を書いたり、部屋をととのえたり、持ち物のメンテナンスをしたり。

それらは今まで、時間の制限なくできたこと。今は限られた時間でそれをすることになるのだけれど、その制限のおかげで、より真摯に向き合うことができる。

わたしは、ここから改めて「制限があることで自分の好みを汲み取っていく」という、きわめて地球っぽい体験を積み重ねていくのだと思います。

普通OL日記、つづく。


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