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#2 インポッシブル・アーキテクチャー展

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中之島・国立国際美術館で開催、
“インポッシブル・アーキテクチャー”展 
建築家たちの夢 

2月9日、“リベラルアーツへの挑戦”シリーズの開催がもう今週末となりました。
今回のvol.4のテーマは「建築 × 音楽」。
facebookのイベントページは、こちらです。

建築と音楽で、それぞれの領域を横断し、学び、遊ぶワークショップの企画をあたためるため、
企画メンバーの建築家・太田翔さんと、作曲家・高木日向子さんと私の三人で、身近な展覧会をいくつか一緒に鑑賞することになりました。

■建築:インポッシブル・アーキテクチャ展
@国立国際美術館
■音楽:越境する周縁者たち
@豊中市立文化芸術センター

何て豊かな打ち合わせなのでしょう。

いよいよ展覧会、鑑賞へ

平日、朝イチの美術館、落ち着いた静けさの中で鑑賞が始まりました。音声ガイドは頼まず、建築家・太田翔さんから直々に聞こうと、入館します。

この展覧会は、未来に向けて夢想した建築、社会的な制約によって実施できなかった建築、既存の制度に対して批評精神を打ち出すことに主眼を置いた建築など、実現に至らなかった建築を展示したものでした。

作者の夢や思考が溢れかえる、実現不可能と可能の境界にスポットが当てられ、不可能だった構想から発せられているメッセージを受け取っていく、そのようなひとときとなっていました。

異様な空気感

唐突に展示が始まります。まずは、建築界では言わずもがな、教科書に必ず載っているそう、ロシアのウラジミール・タトリン氏の「第三インターナショナル記念塔」から。
1919年のもので、ストラヴィンスキー?の、何とも不安定な音楽も流れています。
圧倒的な大きさの建築は、エッフェル塔を意識した鉄製の塔。エッフェル塔の凄みもしみじみと実感しました。

展示は、セクションに分けられることなく、どんどん展開していきます。年代順に展示されているのかどうか、私にはとてもランダムに感じられ、?がつきまといます。
奇抜な構想、コンペへのアンチテーゼを示した構想。実現しなかった無念、どことなく感じられる寂しさ。
そして、実在しない建築だから、そもそも見たことがない。不思議で、異様な空間を漂っているようでした。。

音楽と絡んでいた、建築との遭遇


□瀧澤真弓氏の「山の家」
http://www.sainet.or.jp/~junkk/takizawa/sangaku.htm

音楽の持つリズム、流動性が、造形のヒントとされる。建築の芸術性を証するのに全力を傾けた建築家。

□川喜田煉七郎氏の「霊楽堂」
作曲家山田耕筰氏に感銘を受け、出品。作曲も習ったという!
美術への造詣が深かった山田耕筰氏ですが、彼の芸術性へのアプローチに、あらためて興味が引かれました。

瀧澤真弓氏について紐解いていくうちに、「建築と音楽」という著書を知りました。建築史家・五十嵐太郎氏(今回の展覧会の監修もなさっている)、建築家・菅野裕子氏による共書です。音楽との共通項、関連性について、古代から現代にわたって大変詳細に執筆され、大変興奮しました!また、作曲家クセナキス氏も、「音楽と建築」という著書を出しています。

クライマックスは、新国立競技場案へ

展覧会のクライマックスは、2020東京オリンピックの会場ともなる、新国立競技場のアンビルドでした。

”実現できたはずだ!”
と、展示の声が大に聞こえてくるようでした。 

一度決定された案が覆された、新国立競技場の出来事です。私は恥ずかしながら、あ、そういえば、案が二転三転していたな~くらいの認識でした。
展示を見て、建設へ向けての時間や労力はさすがに容易に想像がつくけれど、一緒に鑑賞した建築家・太田さんの話す、生の言葉はとても重みがありました。「怒りを通り越して、震えあがっていた。」と、「人々の心にも傷を負う出来事だった」と話されたときに、胸をトントンと叩かれたジェスチャーは、とても印象的でした。
同時に、覆されたザハ・ハディド氏の建築に、とても興味が湧きました。

インポッシブルとポッシブルにある、間 はざま

気が付けば、二時間と少しばかり、展覧会を見ていました。
頭はヒートアップです。
私は建築が大好きなのですが、やはり”空間に身を置けること”に喜びを感じ、設計図や、模型の展示からの想像力というのは、自分は本当に乏しいものだなあと実感しました。笑
作曲家の高木さんは図録を購入され、その様子がとても嬉しい気持ちになったのでした。さすが”創造”に長けている方の脳だなあと。
不可能と可能の間、はざまにある面白みについて、二人は実感して語っているのに対し、
私は、“脳から熱出てるわ”と、そんな感覚で美術館をあとにしたのでした。

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