”らしさ”という幻想 前半


私はゆとり教育一期の世代で、先生からも「お前らは教科書が削られて、学校のじかんも削られてよろしくない生徒だ」というニュアンスの言葉を言われてきたし、社会に出てからも「これがゆとりかあ〜〜〜」と大人たちを絶望させてきたようです。

個性ってどうしたらつくんだろう

小学生の特に印象的だった、道徳のじかん。

「個性」という言葉を何度も聞いた記憶があります。服を脱いでも残る違いが本当の個性だ、と先生は言っていました。個性がだいじ、という教えをまじめに実践しようとしたリトルまなみは、個性とは人と違うことをやることと理解し、一生懸命突飛な行動に出たものでした。まぁ実際はただの目立ちたがりだったのですが、個性がみとめられるという瞬間はほとんどなかったように思いました。人と違う、それはおかしくてダメなこと。いじめの対象。それは田舎のふつうの光景なのかもしれないし、日本人の特徴なのかもしれない。

それでも都会は違う、大人の世界はなにか「アメリカ的な」、人種のサラダボウルが絶妙なハーモニーで調和している、きっとそういうものがあると思っていました。無条件で肯定される、”大人の場所”どこにあるんだろう?渋谷かな?新宿かな?と田舎娘はワクワクしていたのです。

絶対的肯定はどこに

社会に出て、ゆとり世代の言動に絶望する大人同様に、私も絶望しました。私の実家の田舎と何も変わりのない、窮屈で息苦しいオフィス。上司に女性らしいかわいい服を着てこいと言われ、女であることが煩わしく感じた初めての経験でした。それ以上に、仕事に個性は必要ないし、むしろ個性は消したほうが身のためだというような重々しい空気に、音楽大学での精神的に自由な生活に慣れた私は潰されそうになりました。個性はだいじと習ったんですよ。「アメリカ的」な自由さ(野暮なかんがえですが)はどこにあるのでしょう。

そう、そうかんがえると、音大に行ったのは良いことでした。レズビアンもゲイもいて、楽しそうに学内でイチャイチャしている。いかにも社会不適合そうな人々が笑って過ごしている。田舎で浮いていた私は「無理に個性的である必要はないんだ」と肩の荷がおり、「ふつうのにんげん」に近づいていったのでした。

存在の耐えられない軽さ

久しぶりに会うひとに「まなみは変わったね」と言われます。長年私を見てきた同級生にも同じことを言われます。テンションの高さが10分の1くらいになりました。ダメ男を好きになるプロセスに絡む、「自己肯定感の低さ問題」がここで出てくるのですが、「目立って個性的でないと存在してはいけないんだ」と思って頑張ってハイテンションでいたんです。それが音大で、私より天然で自然で面白いひとたちを目の当たりにして、私がいくら頑張って個性的であろうとしても叶わないんだろう、と良い意味で諦めがついたんですね。

東京に何しに行ったの?

ユニクロのジーパンにダウンを着て、実家に帰省すると母が激怒します。「東京に何しに行ったの?都会のお嬢さんらしく、素敵な服を着てよ。」

母の考えにべつになんとも思いません。田舎で生まれ育ち、都会に暮らしたことのない母の、拡張された自己としての私が、都会に洗練された、素敵な服を着ていないことに憤るのはおかしなことではないと感じるからです。

「都会のお嬢さんらしくしなさい」

あのね、今ね、そんなね、お金ないんだよ笑

企業キャバ嬢として

やっぱりこの社会は男性による、男性のための、男性の社会なんですよ。仕事ができる女性は年をとって結婚を逃すと、ゴリラ化すると噂され、子供が熱出して休めば「つかえない」。バリキャリ年収高い女子は男性に嫌がられ、事務によくいる、将来の夢はお嫁さんと言う”ちょうど良い”娘と一緒になると、刺激がないと風俗に行く。なんなんですかね。でも、なんとか生き残らなくてはいけない。

まだ私が正社員として働いていた時のことです。接待の日、取引先のお客さんと私と上司で飲み、22時に私が体調不良で帰ると翌日激怒された。

上司「あそこで帰るか?お客さん、お前が帰って怒ってたんだぞ。」

そして私は、企業キャバ嬢としてしっかりお客さんを喜ばせることを決心しました。時にはオールナイトでカラオケに行ったり、おつきあいでお客さんと私だけでご飯に行ったり、(まあさわられても、キスされるのも黙認する含め)頑張ってきました。なるほど、そうすれば上司が機嫌がいい。「つかえる」と言われる。これが”評価か”。

後半につづきます!






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?