【大人になりきれない大人たちへ】UlulU『夕方のサマーランド』鑑賞

 UlulUという3ピースバンドの「夕方のサマーランド」という曲がある。何かのきっかけで知り、私はここからUlulUにハマっていった。UlulUは演奏もメロディーも去ることながら、素直な表現の端々に詩的な奥行き、力強さのある歌詞がとても魅力的だ。今回は「夕方のサマーランド」の歌詞を鑑賞する。

夕方のサマーランド
作詞/作曲:大滝カヨ
編曲:UlulU

子供たちは眠りについて
恋人たちは夜へ向かう
裸に近い女たちは クラブへ向かう途中

上記のMVの概要欄より引用。以下同様。

夜という時間帯が景色を通じで描かれる。「子供たちは眠りについて」と始まることで大人の世界側に主体いることが意識される。

今日はいろんな景色を見たな
見たくないものだって見たよな
夜な夜な夢に出てくるような
怖くてイカついやつ

一日の終わりに今日を振り返る主体。嫌なことにちゃんとこらえた自分を慰めるかのような口調で語り出す。「夜な夜な夢に出てくるような」という子供のような弱さのある比喩が使われることで、大人をちゃんとやっているけれど実はそんなに強くはない主体が見え隠れする。

遠く離れても 思い出すのはサマーランド
友達と遊びに行ったよな

大人としてちゃんとしなければならないことに疲れを感じたのか、子供時代に思いを馳せる主体。「友達と遊びに行ったよな」という簡潔な回想から、じっくりとではなくふとサマーランドのことを思い出した主体が想像される。何か行き詰まりを感じるたびにふと心の中に現れて主体を癒してくれる。主体にとってサマーランドはそんな存在なのかもしれない。「サマーランド」の部分のIV→IVmというコード進行も懐かしさや寂しさを醸し出す。

夕方のサマーランド
赤い太陽は燃えて
夕日に照らされた人たちが
一瞬 魚にみえた

サビの疾走感と共に夕方のサマーランドの景が描かれる。A、Bメロから一変して切り替わりのはやいコード進行に、走馬灯のように様々なサマーランドの景が次々に映されていくような印象をうけるが、「一瞬」から、一瞬という言葉と激しさがやや緩和されることから、魚にみえる人々がスローモーで映されるようなイメージが浮かぶ。そしてボーカルの大滝さんの泣きそうな歌声に、サマーランドの景だけでなくそれを思い出す主体まで見えてくる。

核爆撃でクジラが 何頭も死んだという
貧しき子供達に送る ダルニー奨学金
この世の人たちは 結局何がしたいのか
何よりわからなかったのは 私の心の中

核爆撃で何頭もクジラを殺したかと思えば、貧しい子供達に奨学金をおくったり、この世の人たちは結局何がしたいのか、と主体は疑問に思う。突然の主張にびっくりするが、実は主体が言いたいことはその後「何よりわからなかったのは私の心の中」なのだろう。この世の人たちはこんなことしてて十分わからないけど、それよりも私の心の中が一番わからないんだよ、といったところだろうか。大人になり社会で生きるになって感じる大人達への違和感、抵抗感。そしてそれと同時に、それよりも大きく存在する自分自身のわからなさ。大人になること、社会で生きていくことに辛さを抱え苦悩する主体が見える。

夕方のサマーランド
赤い太陽は燃えて
夕日に照らされた人たちが
一瞬 魚にみえた

再び夕方のサマーランドを思い出し、子供時代に思いを馳せる主体。大人の辛さを抱えているがゆえに、幼い日のただただ素直にサマーランドを楽しんでいた自分がとても輝いて見えるのかもしれない。フレーズの繰り返し二回目で大滝さんの声はより荒々しくなり、メロディーやリズムのアクセントがつくことで夕方のサマーランド回想がより痛切に胸に響く。サビの後、一回緩和があったあと曲は再び疾走感を取り戻し、ハミング、ギターソロで痛切さの極大を迎えて終わる。

 大人を頑張って生きていっているが、まだ弱く大人になりきれない。聴いている人にそれぞれの「夕方のサマーランド」を想起させて、そんな辛さを昇華していく力がこの曲にはある。

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