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雑誌であなたを見たんです


いったい何を目指してなにを考えていたのか。
ただ声をかけてみたかった。
ほんとうに、それだけのことだったのです。

見知らぬ人たちがネットで意見を交わしたりなんて、想像したこともないころの、小さなできごととして。


Q:「特技は?」
A:「添い寝ですよ!」


個人の住所や電話番号を雑誌に掲載しても懸念のない時代があった。音楽雑誌では同好の趣味を持つ仲間との出会いが手紙から始まるきっかけを用意してくれた。楽器などの売り買いなども誌面で住所があかされていて、ぼくが所有していたギターを「買いたい」欄から探して連絡をとったこともある。
なかなかお金が振り込まれないので、地方のその相手に電話をすると、お母さんらしきひとが出てきて謝られたっけ。ぼくは、まだ十代だった。

サブカルチャー系の雑誌をいくつか購読していたけれど、サブカル人口も現象として語られるようになると、
そうしたものへの親和性や、憧れといったものがぼくのなかでだんだんと薄れてゆくのだった。


二十代になってからも読み続けていた「宝島」という雑誌で、東京トンガリキッズというエッセイがいつしか連載された。
自他選を問わず「トンガリキッズ」にふさわしい少年少女たちが見開き2ページに紹介されるという企画もあった。

あれから数十年を経てこのタイトルで検索しても、
のちに短編小説としてまとめられた同著作の読後感想などがつらつらと出てくるが、「トンガリキッズたち」は、ひっそりと隠れてしまったように見つけることはできない。
そしてぼくの手元にも、1冊として残されていない。


まだ平成を迎える前。
深夜の工場でぼくは数年のあいだ働いていた。
その月を暮らしてゆけるだけの賃金を得ることが目的なだけだったので、そこでの時間に楽しいことはなにも見いだせなかった。
なぜか出勤したてから大型の機械をアルバイト勤務のぼくだけ掛け持ちで任され、機械の連続した騒がしい音に張り合うごとく社員の怒号も混じってくるので、
「こころの通うコミュニケーションを生み出しましょう」なんて意欲も、
プラスチック成型の失敗作のように粉砕機に充てがわれてしまうのがオチだった。

月曜から金曜まで、京王線の最寄り駅から運ばれて、調布から高尾山の手前にある駅までの貴重な時間を実りあるよう努めてみる。だが、いつものように人生への不安がひろがってゆき、勤務地のうらさびしい改札口を出ると、ぼくの薄い姿形もこのあたりいちめんの暗闇に呑まれてしまうのだった。

あの夜もいつもと変わりなかった。
ひとつの出会いと、そこで残された記憶以外には。


数ヶ月前に買った宝島のそのトンガリキッズの写真ページのなかに、すっと惹き込まれる少女の姿があった。
木洩れ日の屋外でしゃがんでいた彼女は、手のひらで白い頬をつつんでいる。
ハーフのような細い顔だちに、ちょっとだけ離れた両目の間と、道ばたの花を慈しむような、こぼれる微笑。

そして「高校中退子ちゃん」とプロフにかかげる、この世界への抵抗感のような自己の存在証明や、「めじろ台ベイビー」となのる心持ちのようなものをぼくはあれこれと感じてしまっていた。


工場のある狭間という駅の、ひとつ前の駅名は「めじろ台」。
新宿発の急行から各駅停車に乗り換えて、終点の高尾山口駅からだと3つ目に戻る。
23時を過ぎて平日の車内はこのあたりになると疎らだ。
だからというべきか。

いつからか前のシートでもの憂げな表情を浮かべている彼女をおれは発見できたのだ、彼女であることに間違いはないはずだ、声をかける選択しかないだろうが!
などと、きぜわしい想いが一瞬にしてぼくをとらえた。

そう、めじろ台ベイビーが、いま前に座っている!

どのような話しかけかたがスマートなのかなあ?
驚かせてはいけないですよ。
あ、もうつぎの駅で彼女は降りてしまうのだろう!
イソギナクテワ? いや、急がなきゃ。


「めじろ台ベイビーだろ?」

キョトンとした彼女は立ちあがったまま、ぼくを見つめている。
ミシシッピからやってきた粗野な少年が映っていたのだろうか。
ヤヴァイ、もうひとことください神よ。

「う、たからじま…」

嗚呼、って笑ってくれてタイミングよくドアが開き、彼女は地表に足を運んだ。
それで振り返るなり、窓越しから手を振ってくれた。

もう今夜は出勤しなくていいんだよ。皆勤手当も今月は見送りましょう。
天使の囁きが聴こえる。
だがこの時間、ぼくのために戻る電車は、用意されていない。


なんと数日のちに乗り換えのホームでめじろ台ベイビーを見かけた。
彼女が先にぼくを見つけてくれたのかどうかは憶えていないけれど、声をかけてくれたんだ!

めじろ台までのふた駅ほどの会話。
彼女は新宿の学校に通っていて、いつもその帰りだということも知れた。
それからも二回ほどおなじ場所で会える機会に恵まれた。
お互いの名前は告げたのだろうが、メモは取らなかった。
その声もどんなだったか浮かんではこない。


季節が春を迎え、ぼくは数年往復した職場を辞めることに決めた。
作業を終えてから社員一人ひとりに挨拶すると、おもってもみなかったひとからの労いの言葉があった。

「ここを勤めあげたんだ。たまゆくんはどこでも通用するよ」

だけどつぎは接客のバイトするんだ。もう、赤面症を克服しなくては。



数年が経過した。
ぼくは、めじろ台ベイビーと日中に再会したのだった!
その日の陽光をおぼえてる。
吉祥寺駅から井の頭公園に向かう通りにある、エスニック調の雑貨店内。

彼女は波長の合っていそうなおだやかな感じの友だちといた。
商品を陳列してあるテーブルをはさんで、向かい合わせにもなった。
ぼくのことはわかったのだろうか?
彼女と出逢ったときは「外国人の海兵さんみたい」と称されていた数センチほどのヘアスタイルだったが、
その頃ぼくは「長髪族の眉毛全剃り」だったからね。

また年を越えて、こんどは調布のPARCOで見かけた。
エスカレーターを降りてくる姿が飛び込んでハッとしたよ。
その日時間が経ってから、歩道を渡り駅方面へとゆく彼女がいた。



めじろ台ベイビーと初めてシートに並んで腰かけて会話した夜、
たったひとこと、忘れていない彼女からの言葉がある。
「なんか変なの」と、ぼくに向けて笑顔で口にした言葉を。


10代だからこその素直な印象だったんだと想う。
数十年が過ぎ去ったけれど、周囲にいる人々のぼくにたいしての見えかたも、また変わりのないものなんだろう。

「たまゆさん、浮いてるよ」とは、いまでもときどき言われます。





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