たくさんの文章の構造に関するデータが頭に入っているか
昔、現国の成績が伸びない、と言っている人をよく見かけたのですが、授業以外でほとんど本を読まない人が多かったのですね。で、そういう人が問題の解き方習ったり、問題をたくさん解きまくってもおおよそ結果が出ないわけです。これは他の科目よりも顕著な性質だと思いますが、たくさん問題を解くよりも、ちゃんとした本を読んだ経験が学力の基礎になるんですね。これはFacebookページにも書いた覚えがあります。
どちらかというと、読書経験として小説読むことも必要だと私は思わなくもない方なのですが、トータルの人生で見たとき、小説読解で点が取れなくてもさほど問題ないと私は思います。学校卒業したら小説なんて好きに読めばいいからです。
しかし、評論とか論説とか呼ばれる文章はそうはいきません。大人になってから誰かの主張を見たときに、何が書かれていて、どのように論が組み立てられているかを判断できないと、情報を得るのに差し支えが生じますし、その情報に対してピンポイントに返答することが難しくなります。
つまり、書きことばを通じた学習、書きことばを用いたコミュニケーション、に難を抱えることになります。それは平均的な基礎学力の持ち主にとってはさほど難しくないので、この時点で、基礎学力を持たない人は知識伝達や技能習得において大きな不利を背負うことになります。
国語の問題を解いたり、文章を書いたりするのは、読書によって得られたデータを再構築する行為です。豊富で良質なデータを持たない人は、持てる人に対して大きなハンデを背負っています。
とはいえ、本が好き、という人と、本を好きだなんて思ったことはない、という人では始まる前から勝負がついているのでは、と思う方もいるかもしれません。自然に(放置)していればそうだと思います。だからこそ、訓練が必要なわけです。本を読むトレーニングです。
まずは少し難しい言い回しがあれば、それを辞書で調べましょう。著者が言いたいことと、著者が言っているわけでないこと(批判していること)を弁別できるようにもなりましょう。その際には、接続語に意識を集中させて、どういう文章の構造になっているかを見ましょう。このくらいの意識を配って本を読む経験がいくつかあれば、国語のテストで点を取る土台(データ)になるでしょう。漫然と問題を解いていてもいつまでもデータが増えるわけではないため、学習には不十分なのです。
問題演習なんて受験年くらいでよく、それよりも、読書経験で頭の中を膨らませましょう。たくさんの文章についてのデータは頭の中に構築できているでしょうか。都合のいいことに、書きことばは情報伝達のためにあるものなので、まともな本を読めば、知識も身について一挙両得なんですね。問題文の量だと短すぎて、まとまった知識足り得ないです。
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