#94 おひさごぶさた

10月1日午前9時。東京。雨。

年度の下半期初日にこんな天気だとどうも出鼻をくじかれた気になる。サッカーの後半戦キックオフのホイッスルが鳴り、走り出そうとした途端に靴紐がほどけて、焦りながらもしゃがみ込む気分に似ている。違うか。

どうも上手い例えを思いつかないのは、やはり3ヶ月ぶりに文章を書いているせいだろう。
6年間毎月1日に欠かさず投稿していたコラムを、初めて三度休載し、思い立ったかのように今日これを書いているのは、何かの後半戦を匂わせる演出でもなければ、ごく少数の読者へ向けての生存確認アピールでもない。
ただ、おもむろに入ったスターバックスで、おもむろにMacを開きたかっただけである。

スタバのWi-Fiを拝借してこんなことを検索してみる。「10月1日 天気 例年 比較」。
東京の10月1日が毎年どんな天気なのか。すると、ピーカンの秋晴れはだいたい5〜6年に一回で、あとはだいたい雨か曇りだった。

「女心は秋の空」ということわざは、女性の心が秋の天気のように移ろいゆく様子を謳っているらしいが、ジェンダーレスの時代にはいかにも淘汰されそうなことわざだし、そもそも女性に限らず人の心というのはいつだって秋の空を纏っているでしょ。

逆に、“君はいつも自然体でいるね”なんていうと、いつもリラックスしていて、決して背伸びをしない姿を想像するが、果たしてそんな自然というものは存在するのだろうか。自然は“いつもは穏やかだけど怒ると怖い”、そういう存在である。ゲリラ豪雨、台風、地震などなど。だとすると、「君はいつも自然体だね」は褒め言葉には聞こない。

スターバックスでMacを開く自分が自然体であるかどうかはさておき屁理屈をこね始めるとキリがないがないので、今日はこの辺でおしまいにします。
鬱陶しかった雨の音も心地よくなってきたのは、それが私の焦る気持ちを見透かして「転ぶなよ」と念を押す声に聞こえてきたせいだとしたら、あながちサッカーの例えは間違っていなかったのかもしれない。ほどけた靴紐は結び直せばいい。

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