1/fって何すか。2019.07月号

 <#64 科学についての考察>

 「個人情報」と聞いて思い浮かべるのは、どこに住んでいるのかとか、収入はどのくらいとか、恋人がいるのかとか、そういうプライベートなことが多いと思います。しかし、「究極の個人情報」というのは、一体何でしょう。それは「遺伝子」ではないでしょうか。もちろん、その人のすべてが遺伝子によって決まるとは思いません。むしろ、性格や好き嫌い、物の考え方はその人が育ってきた環境によるものが多いでしょう。例えば自分の好きな音楽があって、「これは子供の時に親の車でよく聴いていたから」と理由を説明できることがあります。しかし一方で、自分でも分からない自分の姿が「遺伝子」というデータベースには載っていることも事実です。「兄弟で一緒に親の車に乗っていたけど、私はこの曲が好きで、兄は全く好きではない」なんてことはよくある話です。
 さて、最近では遺伝子解析キットをネットで注文して、自宅で自分の唾液を採取して郵送することで、自分のなりやすい病気や性格や能力などを知ることができます。また、社会的にもものすごい額の予算が遺伝子解析に投じられていたりと、その熱は冷めません。ここでは私がそのことに賛成反対を意見したいわけではありません。自分の遺伝子を調べたい気持ちもあるし、知ってしまうとこの先面白くないなとも思います。あるいは自分の知らない自分を知ることには興味と怖さの両方があります。
 いま私が言いたいことは、「それが全てではない」ということです。“科学”には妙な説得力があります。難しい言葉や確率を持ち出されるとつい納得してしまう傾向がある。だから“科学”=“事実”ではなくて、ひとつの科学的な側面として考えた方が良い。ものごとにはたくさんの側面があって、そのうちのひとつだと。(私は父が科学者で、幼少から多くを科学的に説明され納得し大人になったので、このような発言はあまりしたくないのですが…)「遺伝子」は運命の記された予言書ではありません。最後の最後に自分のことをジャッジするは自分でしかないのです。

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