1/fて何すか。2018.02月号

 <#47 音楽とガソリンについての考察>

 小学生のころ、朝ごはんを食べる時に父親から「ガソリンがないと車は走らないし、飯を食わなければ身体は動かない」とよく言われた記憶があります。また、高校生の時に憧れた3ピースロックバンドのボーカルは「うちのバンドは、ギターボーカルは運転手で、ドラムがエンジンで、ベースは車体」って言っていました。そんな経験のせいか、今でもなにかにつけて私も物事を「車」に例えて考える癖があります。今まで色んなバンドと出番前の楽屋を過ごして思ったのですが、ライブ前にご飯をしっかり食べるボーカルと、あんまり食べずにステージに立つボーカルがいます。「ご飯はガソリンだから食べないと動かない」のか、「自分は運転手だからあんまり食べると眠くなって事故をおこしてしまう」のか、それぞれに考えがあるようです。ちなみに私は割としっかり食べます。


 曲作りにおいても、ガソリンが必要で、音楽に限らず、映画や小説、美術館や博物館で見るもの全てガソリンになっていて、それらを燃やして曲づくりをしています。しかしこれはガソリンがいっぱいあるからといって、すぐに車が走り出すとは限りません。そういうときはだいたい、「車体そのもの」つまり「自分自身」に問題があると考えました。この問題はすぐには解決しません。「車検」みたいな作業が必要です。自分の頭の中を自分で覗くみたいな事です。曲づくりは奥が深いです。そうやって完成した曲がまた誰かのガソリンになればいいなあと思って曲をつくっています。できるだけ良質な。そして、おそらくそういうミュージシャンはたくさんいると思います。あちこちにガソリンスタンドがあるみたいに。


 しかし、ある日ガソリンなんかよりはるかに燃費の良い燃料が現れます。あるいは世の中が電気自動車だらけになるかもしれない。それでも音楽はこの世界から無くならないと思います。それは音楽がガソリンである上に、車の走る「道路」そのものになるからです。安全で、走り心地の良い「道路」。その道は、車を今いる場所とは違う場所に連れて行きます。なんて事を考えながら、私は今、レコーディングスタジオから帰路についています。

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