1/fって何すか。2017.09月号

<#42「協調」と「妥協」の違いについての考察 >

「協調」と「妥協」の違いについて、心理学者の河合隼雄先生は著書「働きざかりの心理学」のなかでこう言っていました。「協調は、それをするまでが苦しいが、妥協は、それをした後が苦しい」と。

この話を読んだ時に、私は今まで自分がしてきたアレやコレは、「協調」だったのだろうか、それとも「妥協」だったのだろうかと思い返してみました。
メンバー4人でスタジオで曲のアレンジをするとき、意見が割れることがあります。
例えばAメロの長さを考えるとき、1人は4小節が良いと言い、1人は8小節が良いと言います。これをどちらか一方の意見を通してしまうと、もう一方はこの曲をライブでやる度にモヤっとした気持ちになります。私は、メンバーの中に1人でも、この「モヤっとした気持ち」を持って欲しくないので、徹底的に話し合います。そして行き着く答えは4小節でも、8小節でもなく、また全く別のメロディーの6小節だったりします。このことは、もう経験的に分かっているので、4人ともが「これだ!」という着地点に行き着くまで作業と話し合いは続きます。なので、曲作りに関して言えば私たちは「妥協」することなく、「協調」して作っているのかもしれません。スタジオでの作業の時間は答えにたどり着くまでとても苦しいですから。

しかし、時として、一方が意見を譲ることもあります。ただし、その場合は「あなたがそこまで自信を持って言うなら、あなたを信じてそっちにしましょう」というやつです。これは相当な信頼関係がないと成り立ちません。もちろん最初はモヤっとした気持ちになりますが、何度目か演奏したときに、「なるほど、やはり彼の言う通りにしてよかった」と思うことがあります。この場合は、「妥協」ではなく、やはり「協調」だと私は思います。

「協調」と「妥協し合うこと」はやはり違うと思います。しかし、信頼関係の上での意見の譲り合いは、時として「協調」に繋がるかもしれません。そして、もし意見を譲った結果、間違っていたなら、「やはりもう一度話し合おう」と持ちかけるのです。

全く同じ考え方の人なんて、絶対にいません。双子同士でもケンカはします。でも、お互いにとってのより良い未来は、「協調」の先にあります。それまでは苦しいけど、その苦しい時間を共有することこそが、「協調」の一歩なのかもしれません。

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