1/fって何すか。2020.8月号

〈#82 〉 「ダメがかっこいい」時代はもう完全に終わった。コンプライアンスやマナー推進の壁に男たちは屈してしまった。リスクヘッジのスペックを無意識に刷り込まれ、「君子危うきに近寄らず」はもはや教訓ではなく常識。世間はもう、君子だらけだ。
 少し前まで、ダメだけどカッコいい大人がたくさんいた気がする。酒を飲んだら手がつかないし、すぐにタバコ吸うし、やたらと喧嘩になる、それでいて、弱者には優しく、権力に屈さず、ここぞというときに頼りになる。…みたいな。
映画“トラック野郎”の星桃次郎(菅原文太)や、“男はつらいよ”の寅さん(渥美清)、みんな不器用だけどカッコよかった。さらに、少し前に流行った“池袋ウエストゲートパーク”というドラマの中でキング(窪塚洋介)は彼が率いるギャングのメンバーに言った。「悪いことすんなって言ってんじゃないの。ダサいことすんなって言ってんの」と。返す刀でメンバーが「それって誰が決めるんだよ!?」と訊くと、キングはこう答えた。「悪いかどうかは警察。ダサいかどうかはオレ」と。これ、時代が今なら炎上必至。
 しかし、良し悪しの変動はともかく、正解不正解もいつだって流動的で、あまり当てにできなさそうである。例えば昔のアルコール依存症の治療法は潔く「断酒」一択だったが、2018年のガイドラインでは「減酒」も勧められ、害が出ないようにお酒と付き合う方法が加えられた。断酒には「底つき」という考え方がベースにあり、酒による地獄を一度味わう事で、もう呑みたくない体に改造するのだが、一方、減酒には「底上げ」や「ハームリダクション」という言葉が使われている。そもそも地獄を見なくても済むとかなんとか。(真偽の程は不明。)
 星桃次郎も、寅さんも、キングも、ずっとカッコよく過ごせたわけではない。いくつもの挫折と修羅場をくぐり抜けてきたはず。決して彼らは、ルールやマナーを無視してきたわけではない。ただ、少し毛並みの違う独自のルールがあり、それが男の美学、または大人の流儀ととして確立していったのだろう。
 最後に、作家坂口安吾は戦後の著書“堕落論”の中でこう書いている。「人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外に人間を救う便利な近道はない。ここでいう「堕落」は“自堕落な生活”などの「堕落」と決して混同してはならない。「堕落」は自分の責任か、もしくは太刀打ちできない不条理に翻弄され、まるで真っ暗な井戸の下に突き落とされることであり、「救済」はそこから見上げた時に見つけた小さな円形の光である。そして、それはスマホでもすぐに照らせるような大きさの光だが、どんな光よりも濃く、眩しい光である。

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