1/fって何すか。2019.04月号

 <#61 好きでも嫌いでもない>

 好き嫌いが激しい人間というのがいます。あれは好き、これは嫌い、としっかりと線引きをしている人間。私もそういうタイプです。好きな音楽、嫌いな音楽、映画、小説がはっきりしている。
ときどき、今いる場所がとても窮屈に感じて、すぐにでも全く別の世界に行ってしまいたいような気分になるのは、何もかもを好きか嫌いかに分けてしまって、いわゆる「好きでも嫌いでもない」という部屋があまりに小さいせいなのかもしれないと時々思います。
 

 大人数の人や組織が一致団結するにはいくつかパターンがあります。好きなものが一緒、嫌いなものが一緒、お互いの利害関係が一致している、など。そして、どのような団結の仕方が、どのような結末をむかえるかというのは、歴史を振り返ると色々なことが見えてきます。戦争、デモ、宗教、政治、スポーツ、芸術、文化。いや、個人的な対人関係(特に恋愛関係)を振り返っても考えさせられることは多くあります。好きなものが一緒で付き合ったけどうまくいかなかったとか、趣味嗜好は全然違うのに長いこと一緒にいる、とか。
 

 と、ここで、一つの否定できぬ現象があります。嫌いなものが好きなものになるという現象。例えば、子供の時に食べられなかったピーマンやニンジンが、大人になって平気になるような、あるいは昔は苦くて全く飲めなかったビールを、今は一気に飲み干してしまえるような。苦手だと思ってたあの子のこと最近ちょっと気になる…みたいな。
 

 もちろんこれは受け手の変化が根底の理由にはあるのですが、私はここで、好きなもの、嫌いなもの、好きでも嫌いでもないものに続く4つ目の部屋を認めざる得ません。それは「心動かされるもの」です。自分でコントロールできない嫌悪感も、自分では抑えきれない興奮や愛情も、根っこの方で繋がっているのかもしれません。そして、そこに属するものは好きにも嫌いにもどちらにも流動的に移動できる。

 マザーテレサの「愛の反対は無関心」という言葉があります。好き嫌いがあるのは仕方ないけど、その間にあるドアに鍵がかかっていないことに気づけば、世界は少しだけ広くなるかもしれません。

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