web版1/fって何すか。2020.5.15

〈#75 歌詞に「桜」つかえなくなる問題についての考察〉
 
 学校の始業式が9月になるとか、ならないとか。いろんなメリットやデメリットがあって、いろんな立場の学者や政治家さんが議論をしているようです。私はもう学生時代をすでに一通り終えていますし、これからスクールデイズの青春を取り戻そうなんて気はさらさら無いので、この問題について何か意見を述べることは特にないのですが。
いや、本当にないのか?
いや、「いろんな立場」に音楽家は含まれないのか!?

というわけで今日、ここで提唱したいのは、「これから歌詞の中に“桜”つかいにくくなるんじゃないか問題」です。

日本の卒業式や入学式、つまり出会いや別れの季節で歌われる歌にはとにかく「桜」がよく登場する。

具体例を挙げるのはここでは控えますが、日本人は桜が散ったり咲いたりする情景にメロディーをのせるとやたらとセンチメンタルになる癖があって、音楽家たちはそこにつけこんで、「桜」を多用する。

しかし、卒業式や入学式が春ではなく、秋になってしまうと、この長き伝統の中で培った必殺奥義が無力化する可能性がある。
2020年以降に生まれた子供が学校に通えば、桜の季節にはもうすでに友達100人できちゃってるし、卒業アルバムは棚の奥にしまわれている。

出会いや別れの季節が9月になると、これから「桜」の座を奪うのは、イチョウ?紅葉?いや、まだ時期が違うか。
じゃあ「クラゲ大量発生」とか?

いや、どれもまったくセンチメンタルの効力が期待できそうにない。

我々はまた振り出しに戻って、「桜」に変わる歌詞書きの技術を身につけなくてはならないのだ。やれやれ。

今まで作った曲たちも可愛そうなものだ。
私たちテスラは泣かない。にも何曲が「別れ」を題材にした曲がある。「サラバ」「マグノリア」「日情」…

ん?

一回も「桜」出てこない。
使ったことない。
ノーダメージ!!

よし、クラゲ歌詞化のパイオニアになろう。

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