1/fって何すか。2015.05月号

<#15 幼児期の話 -デカめの手術を経て->

 私はカトリックの効園をでた。家がカトリックというわけではなく、教育上の理由で。それでも、食事のときは「アーメン」と手を合わせ、食事があることを神様に感謝した。幼いながらに私は「これは神様じゃなくて、農家の人に感謝するべきなんじゃないのか」と矛盾を感じていた。昼休みにみんなが外で遊んでいる時間、私は一人で毎日世界地図のパズルをしていた。担任の先生が心配して母に相談したそうだが、母は「好きなことをやらせといてください」と私に世界地図の時間を許してくれた。小学校に就学するときには、100カ国くらいの国名と国旗を覚えていた。今となっては忘れてしまったが。

 話は前後するが私は生まれてまもなく、原因不明の呼吸障害になった。右側の肺が殆ど機能してなく、乳を吸うのもままならなかった。どこの病院に行っても原因は分からなかった。「かぜをひいているだけだ、そのうち治る」とも言われたが治る兆候はなかった。

そんな時に父のアメリカへの留学が決まり、家族はアメリカに移住した。アメリカに着いても症状は改善なく、病院に連れて行かれた。そこで出会った外科医(のちに聞いた話だと、たまたまその日その病院に来ていた天才外科医だったとか)は言った。「emergency(緊急事態)」と。私はそのまま手術を受け、見事に右肺の機能は戻った。実は肺というよりかは、横隔膜の機能というのが正しい表現で、右側の横隔膜を司る神経を損傷していて、右側の横隔膜だけが動いていなかったのだ。その手術の成功例は当時とても低かったが、私は論文に載るほどの成功例となり、
その後はこの通り何不自由なく生きている。(性格上の問題はたくさんあるけど、それは自分の責任として)


もしも父のアメリカ留学が決まっていなければ…
もしあの日アメリカの病院に行っていなければ
今の私はいなかったかもしれない。


 この一連が運命の仕業なら、やはり神様はいるのかもしれないと感じることがある。手を合わせるべきはやはり神様なのか。いや運命は先に決まっていたのに、両親によってそれは変えられたのかもしれない。

いずれにせよ、私は生きている。
当たり前のように。
誰に手を合わせることもなく、今まで生きてきた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?