1/fって何すか。2017.08月号
<#41 加害者になる可能性>
自分が被害者になることを恐れるよりも、自分が加害者になることを、全員が恐れていた方が、傷つく人は少なくて済むのかもしれません。
また、自分が少数派になることを恐れるよりも、自分が多数派になることを恐れていれば、世の中がどちらか一方の考えに傾いてしまうことはありません。例えばそれが、「善」と「悪」のバランスでも。
「完璧な人間なんてどこにもいない、皆、善と悪、半分ずつで一人さ」とTHA BLUE HERBが歌っていました。人は性善説でも性悪説でもなく、善と悪、半分ずつ持って生まれてきている。私もそう思います。
2~3歳くらいの子供を対象にした実験がありました。まず、子供に〈ニンジン〉と〈インゲン〉を食べさせ、どちらが好きか尋ねます。次に二匹のうさぎの人形をだして、一匹のうさぎにはニンジンを、もう一匹はインゲンを美味しそうに食べるシーンを子供に見せます。その後、子供にどちらのうさぎが好きかと尋ねると、ほとんどの子供は、自分と好みが同じだった方のうさぎを指したそうです。
この実験の結果が、「人には生まれつき排斥主義の習性がある」と結びつけるのはあまりに短絡的すぎますが、自分と価値観の合わないものを嫌う傾向は認めざる得ないのかもしれません。
やはり人には善と悪が半分ずつなのかもしれません。そして、付け加えると、善はそれを善だと思わないときに善となり、同じく悪はそれを悪だと思っていないことが本当の悪なのかもしれません。でも、人には善と悪が半分ずつあるから、良いことをしたら“今日は良いことしたな”と思うし、いたずらや意地悪をしたら“ちょっと悪いことしちゃったなあ”と思うのではないでしょうか。
自分の中にいる「悪」を「悪」として認めなければいけない。それを受け入れて、向き合わなければいけません。まずはそこから始めるしかないのかもしれません。それが本当の「悪」に傾いてしまわぬようにする為には。
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