1/fって何すか。2014.11月号

<#10 いじめられっ子だった時の話-ijimeにmをつけたらmijime->

 歌詞の話をしたと思えば、エボラの話をしたり、僕のコラムもまとまりがなくなってきました。でもそれは隣の人(よしむたくん)と同じようなので、今日は初めての試み、中学生の頃の思い出話をしたいと思います。どうかお付き合いください。すこし暗いです。

 僕は12歳になると、鹿児島のラサール中学という私立中学に入学し、親元を離れ寮生活が始まりました。はじめに言いますが、僕にとって寮生活は非常に楽しくてドラマチックでした。

中学2年生の一年間を除いて。

 そして今日はその中学2年生の一年間について書きます。

 部屋は2段ベッドが4つと8人分のロッカー、そして真ん中に長机があるだけの狭い部屋でした。中1が3人、中2が3人、中3が2人というように混ぜられました。そして、新年度が始まって間もなく僕が住む203号室ではいじめが始まりました。標的は僕です。同級生の何人かに陰湿な嫌がらせを受け心を痛めました。
 
 ラサールには寮母さんがたくさんいらっしゃって、洗濯は全部任せていました。寮生は寮生番号(僕は552番でした)を服やパンツの裏に書き、洗われたものは、洗濯物返却室の、それぞれの番号のついたロッカーに返されます。鍵はついておらず、ロッカーというよりかは棚です。

 僕はいつも552の箱を覗くと出したはずの洗濯物が返ってきておらず、寮母さんに尋ねました。すると、寮母さんは『あなたはきっと嫌がらせを受けてて、何人かがあなたの洗濯物をとって持って行ってるわよ』と聞かされました。そうか、だから僕の服がゴミ箱にあったのか。僕は落ち込んだり泣いたりする前に、ただ着る服がなくて明日どうしようと悩みました。
生活とはそんなもんです。

そんなところに寮母さんは続けて言いました。『444番の寮生は居ないわ。あまり好かれる番号じゃないから。ロッカーも空いてるから、あなたの服は私が全部そこに入れてあげる。夜に入れるから朝早く取りにきなさい。』

 僕は初めて寮に自分の味方をしてくれる大人を見つけました。僕はそれから444番として一年間過ごしました。中3になって部屋が変わるといじめもなくなり、また明るい寮生活がもどってきました。そして、無事卒業したわけです。

 大学生になって友達と母校を訪ねる機会がありました。僕は真っ先に洗濯物部屋にいきました。寮母さんはまだいらっしゃって、お元気そうでした。僕のことを憶えてくれていて、大学に行って友達もいる僕をみて涙を流しました。

 世間では不吉とされる444番は、僕にとってはラッキーナンバーなのです。

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