1/fって何すか。2016.5月号

<#26 その火の名は>

吉牟田が一年間活動休止(来年の春に必ず戻ります。)するにあた
り、今月号からサネ(實吉)と、桃ちゃん(飯野)のコラムが始まりました。今年度は3人で1ページを作らせてもらいます。

私のコラムは、決まったテーマもなく自由に書かせてもらっているのですが、二人はどうやら“好きなもの”について書くらしいので、私も今回は好きな映画の、名セリフについて書きたいと思います。
これは、映画「男はつらいよ第39作 寅次郎物語」で、寅さんの甥っ子満男が寅さんに「なんで人は生きているのかな?」と、いかにも思春期らしい質問をした時の寅さんの回答です。

「何というかな、“あぁ、生まれて来て良かったな” って思う事が何べんかあるじゃない。そのために生きてんじゃねえか? そのうちお前にも、そういう時が来るよ。まあ、がんばれ」

人は多かれ少なかれ、能動的に「生きている」と同時に、受動的に「“何か”に取り憑かれて、生きている」のではないかなあと、私は時々思います。

経験とか、教育とか、環境とか、誰と付き合ったとか、どこを卒業したとか、そういうものとは一切関係なく、心のずっと深い場所に、誰もが持っている何かに取り憑かれて、生きているのかもしれません。それは、炎のように、ずっと燃え続けているのです。雨にうたれ、風に吹かれ、何度も消えかかっても、またパチパチと音をたてて燃える炎のように。そしてその炎に手をかざせば、暖をとることもできるし、なにより安心できると、人は潜在的に知っているのです。

もしかしたら、それらは遺伝子的に組み込まれているのかもしれません。アデニンとグアニンとシトシンとチミンの配列で決まっていて、そこにスイッチが入ったとたんに、点火され、炎が燃え盛るシステムが生まれつき備わっているのかもしれません。

しかし、あまりに雨が強くて、風に吹かれると、どんなに強い炎も消えてしまいます。炎が消えて真っ暗になるのです。一度炎が消えると、自分ひとりで、また火をおこすのはとても大変なことです。時間も労力もかかる。火をおこす途中でヘトヘトになってしまう事だってある。

だから、そんな時は、近くいる人が火を分けてあげなきゃいけません。
自分の火を、その人に近づけるのです。火は、ゆっくりと、音をたてて、燃え移ります。
大丈夫です、その火をちょっと分けたくらいで、あなたの炎は消えません。

私はその火を“希望”と呼ぶことにします。

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