1/fって何すか。2020.05月号

四月に入ってから、毎朝コーヒーを沸かし、テレビの前にスタンバイして、NHKの朝の連続ドラマ「エール」を観るのが日課になっています。ドラマ自体も面白いし、何より一日を規則正しくスタートさせる新しいルーティンとして続いています。ドラマの主人公は作曲家の古関裕而(こせき ゆうじ)。昭和の作曲家を代表する一人です。
 ドラマの中で裕而が机に向かって曲を作るシーンが何度もあります。机の上に五線譜を並べ、メトロノームを鳴らしながら、ペンで音符を書いていきます。この姿に私は毎回驚きます。パソコンもDAWソフト(作曲をするのに使うソフト)も、スピーカーもない。曲の全てを頭の中だけで“想像”し、音符やリズムを組み立てて一曲に仕上げるのです。携帯もパソコンもない時代ですから、これが昔の作曲のスタンダードだったのでしょう。
 
 確かに、ものづくりの原点がいつの時代も「想像」であることは変わりません。その想像を、現実にするための道具が有るか、無いかの違いです。ただ、それらの道具を持たずしてものづくりが出来た作曲家たちの想像力は、もしかすると今とは大きく違ったのかもしれません。
 
 家で一人じっとしていると、いろいろなことを想像します。良いことも、悪いことも。生産的なことも、悪循環になりかねないことも。良いことや、生産的なことは、たくさん想像すれば良いと思います。それは、また思いっきり外に出て日光を浴びる日が来た時に、大きな美しい花を咲かせる“種”になるのだから。(もちろん、その逆のこともありますが、ここでは想像しないでおきましょう。)
 
 古関裕而と同じ時代を生きた作家、安部公房の「箱男」という小説の中に、こんな一節があります。
「嘘は真実から遠ざける為に用い、想像は別のルートを通って真実に近づける」
 
 嘘みたいなことが次々と起こるこの世の中で、明るい未来を組み立て、それを新しい真実にすることができるのは、いま、静かな部屋で広がる豊かな想像の力なのかもしれません。
そんなことを思って、私も机に五線譜を並べます。(しかし私は楽譜が読めない…。必要なのは想像ではなく勉強か…。汗) 

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