1/fって何すか。#90 高級マイクとワクチン(2021.3月号)

昨年の自粛期間中、自宅で録音をする時間が増えたため、初めてコンデンサーマイクを買った。2万円くらいのもので、コンデンサーマイクの中ではかなりランクの低い一本。しかし人の耳に触れないデモ音源を制作するには、十分だった。

先日、エンジニアさんに私物のコンデンサーマイクをお借りして、自宅に持ち帰り歌の録音をすることになった。このマイク、かなりのビンテージマイクで、車が一台買えるような代物。肌身離さず身につけ電車に乗り、自宅に持ち帰った。

無事、録音を済ませ、マイクを返却しにスタジオへ行った。言わずもがな、それまで使っていたマイクよりも音の質は格段に良くて、例えて言うと、4畳半のアパート暮らしから、突然タワーマンションに引っ越すような感覚であった。しかし、それは、もう一度4畳半アパートに戻れるのかという問題に直面することを意味していた。

マイクを返却した私は気がつくと、楽器屋に向かっていた。今まで高価だと思っていたマイク(原付バイク一台分くらい)さえ、不思議と手が届きそうな危うい感覚に陥っていた。その日にマイクを購入することはなかったが、近い将来新しいマイクが我が家に訪れる気配は否めない。自宅に帰ると、これまで自粛期間の苦楽をともにした2万円のマイクは、どこか寂しそうな顔で私を見つめているような気がした。

さて、話はかなり飛躍するが、いよいよ、コロナウイルスのワクチン接種が始まる。このワクチンはmRNA遺伝子ワクチンと呼ばれる新型のワクチンで、これまでの不活化ワクチンや弱毒化ワクチンと比較すると、作用機序がまるで違う。人類はすごいところに手を伸ばしたなというのが私の印象である。4畳半アパートとタワマンこその差があるかどうかは不明だが、この発明は、かつての電気やダイナマイトのように、もしかするとコロナウイルスが流行したこと自体よりも、大きく人類の歩む道筋を変化させるのではないかと思っている。

運命というのは自らの手で切り拓くものであり、そして同時に意図せず迷いこむものだ。
いずれにせよ、その運命が導いた未来を賢明に生きることが、過去も現在も、強いては2万円のマイクをも報いることになるのだろう。

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