1/fって何すか。2014.09月号

<#8 本当に東京の裏はブラジルなのか?についての考察>

 日本の裏側は?と聞かれたらほとんどの人はブラジルと答えるでしょう。もちろん正解です。「裏」の意味は「①表の反対側」ですから、日本から地球のマントルを突っ切って向こう側を目指せばブラジルに着きます。しかしブラジルには危険を冒してマントルを突っ切らなくても、東京からひたすら北上あるいは南下すればリオデジャネイロに辿り着きます。でもそう考えると果たしてブラジルは日本の反対側と言えるでしょうか。むしろブラジルは日本と同じ線上と言った方が正解です。

当たり前のことを言ってすいません。「だって地球は丸いから」と言ってしまえばその通りなのです。ガリレオさん、すいません。

 それでは何故ブラジルは日本の裏側と言うのでしょう。それは「裏」が「②表側をみたときに隠されている部分」を意味しているからでしょう。月や太陽から地球上の日本を見て、隠れて見えないのがブラジルなのです。
ブラジルを日本の裏側と言っていいのは月に住む宇宙人だけかもしれません。

 僕が言いたいのは決して地球上の国に、表も裏も無いというようなことではありません。僕が言いたいのは、いつだって僕らは「見えないもの」を「裏側」にしてしまうということです。

 本当の反対側には嘘があります。真実の存在によって確信のもてないソレ。しかしそのコインをひっくり返して嘘を表にしたとき、嘘の反対側に本当はあるでしょうか?

 「戦争」の反対は「平和」と習いましたよね。戦争は平和を幻にしますし、今この平和な世の中では戦争はテレビの中の出来事。まるで現実味がありません。まさに、表と裏です。しかしそれは同じ地球上で同じ人間同士が生むものです。同じ直線の上にあるのかもしれません、東京とブラジルのように。

人は見えないのものを裏側にしています。いや裏側にして見えないようにしているのかもしれません。でもそれは実は同線上だったりします。

 「愛」の反対は「無関心」だと言った人がいますが、僕はそうは思いません。愛の反対は紛れもなく「憎しみ」です。その中間が「無関心」でしょう。それならば「憎しみ」からひたすらに歩き続ければ「愛」に行き着くことができないでしょうか。

そんな世界だったらいいのに。

本当の反対は嘘だったけど、嘘の反対はやっぱり嘘だった。そんなことをさっきから言ってる僕は君とはちょっとちがういびつな形の凡人
(テスラは泣かない。「梵」より)

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